スピードスケート男子500メートルで五輪初出場の森重航(21=専大)が、34秒49で銅メダルを獲得した。日本勢の同種目のメダルは3大会ぶり。19年7月に、がんのためこの世を去った母俊恵さん(享年57)に吉報を届けた。村上右磨(29=高堂建設)は34秒57で8位入賞。新浜立也(25=高崎健康福祉大職)はスタート直後に体勢を崩し、35秒12でまさかの20位に終わった。高亭宇(24=中国)が34秒32の五輪新記録で優勝した。

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「行ってきます」。森重は選手村を出るとき、母の写真にそう告げた。自分と母を特集した新聞記事も一見し、部屋を出た。

リンクでは1人になった。支えてくれた母や父、7人の兄姉のことは1度、脇に置いた。「全然緊張しなかった。楽しめた」とスタートラインでは普段通り。相手のフライングの後、失格を防ごうと2度目の号砲は慎重に出た。それでも100メートルは「まずまず」と9秒63。後半の伸びが真骨頂。ぐんぐん加速する。「第2コーナーは持ち味を出せた」と、低地リンクでは自身初となる34秒50台を切った。

初五輪で銅メダル。「昨年の自分からは想像も出来ない」。日の丸を背中に背負い、穏やかな笑みを浮かべたウイニングラン。レース前、「母には『自分の滑りができた。楽しかった』と言えるようにしたい」と語った、そのままのレースを実現した。

「スケート、頑張れ…」

亡くなる4日前。19歳の誕生日に電話越しに聞いた母の最期の言葉。いつも胸に刻み、氷に乗る。12年に乳がんを患った母。手術は成功し回復したが、森重は普段から気遣いを忘れなかった。

選ぶスケートスーツやジャージーは決まって黄色などの蛍光色。全国中学大会で2冠を達成した時もオレンジ色のスーツだった。母が苦労なく、あまたいる選手の中から自分を見つけられるようにと、着ていたものだった。

18年平昌五輪でメダルなしに終わった男子スケート陣。今大会は下馬評が高く長野五輪以来、24年ぶりの金メダルへの期待が大きく懸かる中、若い森重が踏ん張った。「きつい練習が結果に表れた。4年後、8年後も目指したいという気持ちが芽生えた」。

首にかけられた銅メダルは「重みがあります」と実感が湧く。リンクを出ると父誠さん(68)ときょうだいに電話をかけた。そして天国の母にも「頑張ったよ」と報告した。

あの日、しゃべることさえつらいのに最後にかけてくれた言葉。「スケート、頑張れ…」。息子は実直に守った。【三須一紀】

◆森重航(もりしげ・わたる)2000年(平12)7月17日、北海道別海町生まれ。8人きょうだいの末っ子で、同郷の先輩新浜立也と同じ別海スケート少年団白鳥出身。上風連中3年時に全国中学の男子500メートルを中学新記録で制し、1000メートルと合わせて2冠。山形中央高では18年全国高校選抜で500メートル、1000メートルで2冠。19年に専大進学。今季から初めてW杯に参戦し、昨年12月のW杯ソルトレークシティー大会で500メートル初優勝。W杯ランキング2位で北京五輪を迎えた。趣味は漫画、球技。175センチ、72キロ。