北京オリンピック(五輪)のスノーボード女子ビッグエアでのメダル獲得が期待される鬼塚雅(23)を全面サポートするのが、所属先である星野リゾートだ。国内外で宿泊施設を運営する同社の星野佳路代表(61)は慶大時代にアイスホッケー部主将を務め、実業家としてスキー場の経営に、その手腕を振るうなどウインタースポーツとの縁も深い。「観光業の革命児」とも呼ばれる星野代表が日刊スポーツの取材に応じ、鬼塚をサポートする理由や五輪の将来像について語った。

【取材・構成=奥岡幹浩、阿部健吾】

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<上からつづく>

「観光業の革命児」とも称される星野代表は、スポーツの祭典である五輪に対しても変革を訴える。

これからは1都市にこだわってやっていくのではなく、もっと広域で開催すべきだと思います。東京五輪のときも結局、マラソンと競歩は札幌でやることになったれど、僕はもっと早い段階から、東京以外の場所でやれば良いと主張していました。

コロナ禍での開催の可否が問われた昨夏の東京五輪については、次のように回顧する。

開催地に立候補して勝ち取ったわけなのだから、どんなことがあっても開催する義務があったと思います。選手は五輪のためにキャリアをかけているわけだし、世界中の人が大会を楽しみにしていた。だから、たとえコロナがあったとしても、それを乗り越えて開催するのは立候補した都市の責任でした。とはいえ、東京都が立候補すべきだったかということには、そもそも異議を唱えていました。東京では64年に五輪を開催しているのだから、他の場所で行えばよかった。復興五輪と銘打つのであれば仙台や盛岡で開催したり、あるいは東北全体でやるといったことを検討してもよかったはずです。

国内での五輪といえば、98年には星野代表の故郷・長野でも冬季大会が開催された。

あのときを振り返ってみれば、いろいろなことを東京に任せてしまい、地元長野の人たちが主体になってやれていなかったと思います。ある程度混乱することになってもいいから、地元の人たちの手で開催すべきでした。そうすることで海外の人たちとのコミュニケーションが生まれ、それが国際性へとつながっていく。長野五輪で残念だったのは、東京が主体だったことにより、地元が国際性を学ぶ機会が少なかったことだと思っています。

現在は札幌市が2度目の開催となる30年冬季五輪誘致に向けて動いている。

星野 基本的に反対です。というのも、札幌ではすでに72年に1度やってるので。札幌でやるのであれば、北海道全体で開催すべきという意見。インバウンド需要を見込んで観光を盛り上げようという面を含めても、札幌という名前だけでなく、北海道を売っていくべき。北海道の雪や観光って、いまは世界で有名になりつつあり、ブランド化しつつあります

札幌五輪ではなく北海道五輪とすることで、さまざまな利点があると力説する。

インバウンドによる需要を分析しても、海外からのお客様は自然あふれるニセコに行ったり、知床の世界遺産を見たり、釧路湿原の鶴を見たりと、さまざまな場所に足を運ばれています。すでに北海道全体が観光ブランド化しつつあるのです。ならば五輪を通じて札幌だけをアピールするのではなく、北海道をアピールしたほうが経済効果が大きい。また、もし札幌に誘致できたとしても、結局は全道のサポートが必要となってきます。だったら札幌市以外の住民の方々に「自分たちのオリンピック」という実感をもってもらうためにも、札幌五輪という名称ではなく北海道五輪にすべきだと思っています。

(おわり)


◆星野佳路(ほしの・よしはる)1960年(昭35)4月29日、長野県生まれ。慶大経済学部卒。米コーネル大ホテル経営大学院修士課程修了。91年に星野温泉(現・星野リゾート)4代目社長に就任。山梨県「リゾナーレ」などのリゾート再建に取り組む一方、星野温泉旅館を改築、05年「星のや軽井沢」を開業。「星野リゾート アルツ磐梯」などスキー場経営も手がける。趣味はスキー。

17年7月、星野リゾートと所属契約を締結し、星野佳路代表と握手する鬼塚雅(右)
17年7月、星野リゾートと所属契約を締結し、星野佳路代表と握手する鬼塚雅(右)
自身の経験を語る星野リゾート代表取締役社長の星野佳路氏(撮影・菅敏)
自身の経験を語る星野リゾート代表取締役社長の星野佳路氏(撮影・菅敏)
カナダ・バンフにアイスホッケー留学をしていた時の、星野リゾート代表取締役社長の星野佳路氏
カナダ・バンフにアイスホッケー留学をしていた時の、星野リゾート代表取締役社長の星野佳路氏
リフトに乗るスノーボード女子の鬼塚雅(右)と星野リゾートの星野佳路代表(星野リゾート提供)
リフトに乗るスノーボード女子の鬼塚雅(右)と星野リゾートの星野佳路代表(星野リゾート提供)