バドミントン女子シングルスの奥原希望(25=太陽ホールディングス)が4日までに日刊スポーツの取材に書面で応じ、現在の心境を語った。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、出場確実としていた東京オリンピック(五輪)が1年延期になった。大会の中止が相次ぎ、先行きが不透明な中でも、プロとしてぶれずに活動する。他の代表選手らとバドミントン界を盛り上げようとSNSで積極的に発信を続ける。奥原だからこその、胸の内に迫った。【取材・構成=松熊洋介】

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この4年間、奥原は今夏の東京五輪を目指して過ごしてきた。女子シングルスで銅メダルを獲得した16年リオデジャネイロ五輪後から、練習、大会など1つ1つを、五輪開幕から逆算して活動してきた。それだけに、1年延期には、複雑な心境を明かす。

奥原 スケジュールを組み直しの段階で、直近のスケジュールや選考基準など決まっていないことが多すぎて、2021年へ向けた1年間の見通しがたたないことは不安につながる1つの要素かなと思います。

3月までは個人でトレーニングを重ねていたが、4月からは体育館での練習を再開した。

奥原 とにかくまずは自宅待機の2週間分を取り戻すこと。そして最近の良かった点はキープしながら課題に取り組むことができたことで、いつもとやることは変わらないです。

4強入りした全英オープン後は、大会は中止。帰国し、2週間の自宅待機の間もトレーニングを行っていた。慣れない環境の中、健康にも、周囲にも気を使いながらの生活だった。

奥原 ずっと家の空気だけを吸っていると気がめいりそうなので、換気は積極的に行っていました(花粉症の人はしんどいと思いますが)。生活リズムが崩れやすいので、カーテンを開けて太陽光と一緒に生活することも意識しました。公園ではまず、コロナ感染には最善の注意を図りました。人との距離や、人が多い公園は避けて。人けの少ない穴場の公園を見つけました。

奥原は自身のトレーニングなどをSNSでほぼ毎日発信している。自宅待機でバドミントンができない子どもたちを含め、全国のバドミントンをしている選手たちにも、メッセージを送り続けている。

奥原 子どもたちだけではなくて(子どもだとしても子ども扱いされるのが私自身小さいころ、嫌でしたので)、全員に共通することなのですが、今できることを限られた条件の中で考え行動して欲しいということです。自宅待機だから、というのを言い訳にするのではなく、ピンチがチャンスという言葉のように、逆転の発想でこの環境を逆手にとるのです。気になることなどをとことん調べたり、見たり、研究したりする時間に充て、知識や情報を吸収する良い機会だと思います。コロナ感染に気をつけつつ、できることを考え行動できる人が、コロナが治った頃にスタートダッシュが切れる人ではないかと思います。

自身の調整が難しい中でも、世界のトップ選手としての使命を果たすという強い思いがある。バドミントンを広めたいと、地元を含め教室などを行ってきた。2月には男子ダブルスの嘉村、女子ダブルスの永原、混合ダブルスの渡辺、東野らとツイッターで「@Badminton_PlayersRoom」というアカウントを開設した。ファンからの質問を受けるなど、バドミントンの楽しさを知ってもらおうと発信を始めた。コアな質問には「テンションが上がる」と、心を通じ合わせている。

奥原 オリンピックが東京の地元で開催されるにあたって、スポーツ界に注目が高まってきています。これを機にバドミントンの面白さ、魅力をもっと伝えられないかなと考えました。今、SNSのおかげで新聞やテレビなどを通さずに、ダイレクトにファンの皆さんへ声を届けることができるようになっています。トップ選手が考えたり、試合中に感じている感覚、を伝えることによって、ファンの皆さんがバドミントンを見る時、やる時に今までより選択肢が増え、私たちトップ選手がひかれている(とりこになっている)バドミントンの奥深い面白さを知ってもらえるのではないかと考えました。そのためには選手が率先してSNS等を活用し、発信していく必要があるのではないかという、共通認識を持った選手が集まりスタートしました。

先の見えない状況でも、奥原には信念があるから、突き進める。具体的な活動はこれからだが、3月22日には、インスタグラムで動画を配信するインスタライブを行った。

奥原 遠征やスケジュールの合間を見計らって一緒にバドミントンをしたり、直接交流をする企画等も考えていましたが、できない状態です。今現在、家にいる人が増えていると思うので、インスタグラムを活用してライブ配信を積極的にするようにしています。

リオ五輪にも出場している奥原は他競技の選手との交流も多い。

奥原 トランポリンの土井畑千里選手と連絡を取りました。彼女はコロナの影響でスケジュール変更に加え、五輪の選考ルールにも変更があって、少し困惑したようです。しかしすぐ切り替え、今後も目標である自分の理想とする演技構成ができるよう、練習を継続して今のところ予定されている6月の試合に向けて頑張ると目を輝かせていました。変化に応じて対応するメンタル、マインドの強さに私自身も背中を押され刺激をもらいました。

今後バドミントン界がどうなっていけばいいかも考えている。

奥原 スポーツ界も含めて、今大きな転機だと思います。フェンシング協会のように、他のスポーツを引っ張っていけるような競技になっていくと、バドミントンをしている私は誇り高いなと思います。

13、14年は膝のけがに悩まされた。克服し、16年リオ五輪では銅メダルを獲得したが、その後もけがとの闘いだった。それでも東京という大きな目標があるからこそ、ぶれない強さを持ち、この困難にも立ち向かっている。

◆奥原希望(おくはら・のぞみ)1995年(平7)3月13日、長野県生まれ。埼玉・大宮東高2年の11年に全日本総合で最年少女王。12年日本初のジュニア世界一。15年スーパーシリーズ・ファイナルを制覇。16年リオ五輪銅メダル。17年世界選手権で女子シングルス日本人初の金メダルに輝く。18年12月に日本ユニシスを退社し、プロ宣言。太陽ホールディングスと所属契約を結ぶ。男子シングルス桃田、日本ハムの大谷、競泳萩野らと同学年の94年世代。157センチ、52キロ。