日本女子が新たな扉を開けた。女子フライ級(48~51キロ)の並木月海(21=自衛隊)、女子フェザー級(54~57キロ)の入江聖奈(19=日体大)がともに準々決勝を突破し、東京五輪の出場枠を獲得。日本連盟の内規を満たし、代表に内定した。

ロンドン五輪で種目採用されてから3大会目、女子では日本第1号、第2号の五輪選手が誕生した。お笑いコンビ「南海キャンディース」のしずちゃんこと山崎静代の挑戦で注目されたロンドン当時を知る記者が感じた変化とは…。

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ドタバタ劇にあぜんとしたのを今でも思い出す。8年前、中国北東部、北朝鮮に近い秦皇島。2カ月後に迫ったロンドン五輪予選を兼ねた女子世界選手権開幕の前日だった。

「聞いていたのと違う。困ったな」。日本代表の関係者は、困惑を隠さなかった。原因は前夜の監督会議での「新情報」。大会で決まる五輪出場枠は3階級(フライ、ライト、ミドル級)で各8。ベスト8入りで決定と日本連盟は確認していたが、各階級に設けられた大陸枠の存在を通知された。特に山崎のミドル級のアジア枠は1で、8強だけでは英国行きは決まらないと判明した。

しかし、調べると、この通達は日本連盟の英語の「誤訳」が理由で、全く「新情報」ではなかった。そこに日本女子を取り巻く環境が透けた。IOC主導の男女平等の観点から採用はされたが、国内では強化方針もなく、情報を精査する当たり前もなかった。男子の「添え物」感が強く、戦略がある強化は乏しかった。

結局、山崎は3回戦で敗退。その後に大陸ごとの推薦枠を希望する国・地域が行う申請を日本連盟が把握しておらず、期日が過ぎたことも判明する失態まで付いた。リオ五輪でも、女子の扱いに大きな変化はなく、予選で敗退して「第1号」は遠かった。

分岐点はやはり、日本連盟の体制が変わってから。18年夏に山根明前会長のパワハラ問題などが明るみに出て、体制が一新。東京五輪まで2年を切る中、「メダルの可能性が高い」と待遇改善したのが女子だった。リオ五輪で母国に金3つをもたらしたシン氏(ウズベキスタン)を男女兼任コーチに据え、山根体制ではなかった男女合同の海外合宿も行った。

いま、女子のレベルは飛躍的に上がる。互いに猫パンチのように打ち合い、体力勝負だった過去はない。山崎も「すごくきれいなボクシングをみんなする」とうなる。入江は男子顔負けの基本に忠実なワンツーを打ち、並木の踏み込みの速さは男子にも劣らない。競技人口では大きな増加はなく、いまも認知度は低い。ただ、8年前の中国から、環境も技術も大きく向上している。夏の両国国技館、首にメダルをかける女子ボクサーが登場すると見ている。【阿部健吾】