日本のエース、16年リオデジャネイ五輪代表の皆川夏穂(23=イオン)が2大会出場を逃した。17年世界選手権では銅メダルも手にした第一人者が涙に暮れた。

2枠をかけて特別強化選手3人が争った選考会。個人総合を19、20日にそれぞれ実施し、合計得点の高い方を採用し、上位2人を五輪代表に決定する方式だったが、2日間とも最下位3位に終わった。

試合後に気丈に会見で答えた。「少しミスがあっても絶対にあきらめない気持ちをもって最後までやれました。大崩れはしなかった。でも、結果、自分ができる最大限の演技が出せなかったので、結果も付いてこず…、点数ももらえずに悔しいですけど、でも、自分の体の状況を考えたら…、これがいまできる自分のベストだったのかな…」。あふれる涙を何度もぬぐった。

原因はケガだった。もともと、右すねの筋肉が血管を圧迫し、血行障害を引き起こす「コンパートメント症候群」に長年苦しんできており、五輪を見据えて昨年12月に手術に踏み切っていた。改善を望んだが、今度は左足の親指が悪化していった。「5年前から痛めている種子骨と、親指の関節自体も骨の中が荒れてしまってて」と。直近では満足な練習ができなかった。「普通に歩くのみ痛い」。そんな苦境で迎えた選考会だった。

最終4種目目。競技人生の集大成の思いを込めた「マイ・ウェイ」が流れるリボンの演技。東京五輪は厳しい状況で、いきなり冒頭で手具操作のミスは出たが、気持ちを切らさずに演じ抜いた。無観客ながら、関係者から送られた拍手に、深々とおじぎをして、戦いを終えた。

中学卒業後に本場ロシアへ渡って、8年。19年世界選手権で自ら獲得した出場枠を逃す形になったが…。「掲げてきた目標は達成しながらここまでくることできました。いまは少し悔いが残っている状態ですけど、ここまでのことを考えると、この5年間と、ロシアに8年間行っているのでそれは無駄ではなかったなと思います」と振り返った。【阿部健吾】