東京オリンピック(五輪)聖火リレーの代替え行事として点火式典が14日、札幌市北3条広場「アカプラ」で無観客で行われた。会場は目隠しするなどの厳戒態勢。公道でのリレー中止などで全国最小規模となった式典で、湯川総夢さん(13)が代表して点火する大役を務めた。98年長野五輪以来23年ぶりに札幌にやって来た聖火は、北海道内18市町で走る予定だった207人のランナーの思いを乗せて点火された。

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湯川さんが両手で持ったトーチを近づけた。午後2時15分、北海道庁を背に設置された聖火皿に点火された。3月25日に福島からスタートしてつながれた灯は、本来は道内各地でつながれた聖火が集まるはずだった場所で輝いた。大役を終えた13歳は、ステージ上で「こんなコロナ禍で行ってくれたことに感謝。一生に一度の貴重な経験ができて光栄です」とあいさつした。

札幌陵陽中2年のスポーツ少年が、代表して大役を任された。予定では第10区間札幌ドームオープンアリーナ外周を走るはずだったが、公道での走行が中止となった。北海道実行委員会選出のランナーで最年少だったことから、白羽の矢が立った。札幌東山小5年からフットサルのエスポラーダ北海道のスクールに通う。部活動ではサッカー部に所属しポジションはFW。スポーツの魅力を「国籍、人種関係なく人が一丸となって応援、協力し合って楽しめるもの」と話す。本番では地元でも開催されるサッカーに注目している。

五輪の延期後も体力づくりに取り組み、トーチを持って走るイメージトレーニングを積んで、楽しみにしてきた。だから残念な気持ちもある。それは道内各地北海道で走る予定だった207人の共通した思いだ。「みなさんの分も火を点けられた。聖火は普通の火とは違う。日本、世界の人々を明るく照らす火」。思いが乗ったトーチに重みを感じていた。

名前どおりに、たっぷり夢を抱く。式典後、使用したトーチを手に会場を後にした。お小遣いをためて7万1900円で購入した。「お父さんになった時に自慢したい」。平和の祭典と呼ばれる五輪の本来の意義を、未来への希望にあふれている中学生から再認識できる。聖火は次の会場、岩手へつなげられた。【保坂果那】

○…点火式典は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、無観客で行われた。密を避けるため、四方を白いテントで囲い、外部からの見学もほぼ不可能で、ライブ映像配信のみでの公開となった。北海道実行委員会代表として出席した鈴木直道・北海道知事は「急きょこのような形で開催することになった。まさに断腸の思いだった。聖火が我々の明るい未来を照らすことを心から願っている」とあいさつした。

 

<北海道での五輪聖火リレー>◆64年東京大会 9月9日に沖縄から、分火され鹿児島、宮崎、北海道の3道県へ。千歳空港では自衛隊のF86ジェット戦闘機4機に守られながら特別タラップに到着し、市民ら5000人が出迎えた。聖火は千歳市長室に“1泊”し、翌10日に札幌へ。テレビ塔下では300羽のハト、1000個の風船、花火で歓迎された。国道5号を経由し、15日に函館に到着。17日朝に青函連絡船で青森に出発するまで、8日間で341・2キロをリレーした。

◆72年札幌大会 ギリシャから沖縄を経て、72年元日に東京・代々木の国立競技場を出発し北上。道内では函館、釧路、稚内を起点とした3ルートで札幌を目指した。走者は11~20歳の男女とされ、2月3日の開会式では、当時16歳の高田英基さんが聖火台に点火した。

◆98年長野大会 1月6日、道庁赤レンガ前~札幌五輪開会式会場の真駒内屋外競技場の11・3キロ(12区間)を総勢71人でつないだ。第1走者は札幌大会ジャンプ70メートル級銀の金野昭次さん、最終走者は84年サラエボ大会スピードスケート500メートル銀の北沢欣浩さん、80年レークプラシッド大会500メートル5位の佐藤眞紀子さん(旧姓・長屋)が4人の小学生と一緒にトーチを持って滑走した。