16年リオデジャネイロ五輪銀メダリストの樋口黎(25=ミキハウス)は、2大会連続の五輪出場を逃した。17年世界選手権王者の高橋侑希(27=山梨学院大職)に2-4で破れ、「申し訳ない気持ちでいっぱいです」と肩を落とした。

勝てば五輪の大一番。0-1とリードを許して折り返した第2ピリオドでは、先にタックルを仕掛けた。左脚に食らい付いて、2-2に。ビッグポイントの差でリードを奪ったが、再び仕掛けた片足タックルで暗転。今後はがぶられてあおむけに返されて失点。2-4になると、反撃を阻まれ、試合終了とともにマットに突っ伏した。

2カ月前は絶望に打ちひしがれていた。4月のアジア予選(カザフスタン)で計量失格した。年明けから好物の甘味を絶ち、順調な減量を続けてきたはずが、試合当日の体重計で250グラム超過。必死に梅干しなどを含み、唾液も出しながらあがいたが、規定の30分以内にも落とせずに50グラムオーバー。マットにも立てず、五輪がかかった大事な一戦を落とした。「食生活、運動量、カロリーなど全部気をつけてやってきた。全力で一切の妥協なくやってきたが、極限の状態で(最後の50グラムが)落ち切らなかった。現実を受け止めるしかない」と言葉を絞り出した。

リオ五輪以降、減量苦から一時は65キロ級に上げていたが、五輪切符を逃したため再び最軽量級に挑戦。19年全日本選手権で高橋を下してアジア予選への出場権を獲得していた。そのチャンスを逃した。

帯同した練習拠点の日体大の湯元コーチは「もう1回死んだんだから、死ぬつもりでやろう」と声をかけられた。どん底で「死んだと思ってやります」と前を向くしかなかった。同コーチは12年ロンドン五輪では、出場枠を取ってきた立場でのプレーオフを経験している。「おれとは逆の立場。だから分かる。みんなが枠を取ってきた人(高橋)の味方だ。負けているところからのスタートだと思ってやれ」と諭されていた。

「いろんな時間を犠牲にして僕のサポートをしてくれたコーチや先生、恩師であったり、会社であったり、友人であったり、僕一人ではマットに立ててすらいない。いろんな人の犠牲の上で、僕がレスリングできた」と感謝しながら、やはり後悔が大きい。今後については「僕の東京五輪はここで終わってしまったので、しっかり、減量中にネガティブというか、なんていうんですかね、ずっと暗い気持ちになっていたので、しっかり心を休めて、これからどうしていくか、気持ちの整理をつけながら考えたい」と述べた。