【特別編集委員コラム】6月13日がくるたびに思い出す、19年前の大騒動/連載12

あの騒動から19年が経ちました。2004年(平16)6月13日、日本経済新聞のスクープ記事をはじまりに、プロ野球界は大騒動に陥りました。近鉄とオリックスの球団統合に端を発する、いわゆる「球界再編」です。1リーグ制への移行が必至の情勢から、史上初のストライキを経て、現在の2リーグ、12球団制が維持されました。6月13日がくるたびに、あの騒動を思い出します。

プロ野球

◆飯島智則(いいじま・とものり)1969年(昭44)生まれ。横浜出身。93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。

松井秀喜選手の誕生祝いが一転…

あの日は、ヤンキース松井秀喜選手の30歳の誕生日でした。

米国時間2004年6月12日。デーゲームで行われたパドレスとの交流戦に勝利した後、報道陣がケーキを贈って誕生日を祝いました。

球団職員もケーキを準備していたのですが、名前が「HADEKI」になっており、慌てて「A」を「I」に直す一幕もありました。チームが勝ったこともあり、穏やかな雰囲気が漂っていました。

米国時間2004年6月12日、30歳の誕生日を迎えた松井はプレゼントを手に笑顔を見せていた

米国時間2004年6月12日、30歳の誕生日を迎えた松井はプレゼントを手に笑顔を見せていた

そこに記者の1人が血相を抱えて走ってきました。

「今、会社に電話したら、日本は大変なことになっているらしいぞ」

日本は、夜が明けて6月13日の朝を迎えていました。この日、日本経済新聞が「近鉄球団、オリックスに譲渡交渉」というスクープ記事が掲載されていました。

12球団のうちの2球団が経営統合するというニュースで、そのままであれば11球団になってしまいます。

「阪急がオリックスへ」「南海がダイエーへ」といったオーナー企業の変更とは違い、球団数が減れば、球界全体が大波にのみ込まれることは容易に想像がつきます。

「どうなるんだ?」

「大変なことになるんじゃないか?」

2004年6月13日、オリックスとの合併問題で記者会見する小林哲也近鉄球団社長(左)と山口昌紀、近畿日本鉄道社長

2004年6月13日、オリックスとの合併問題で記者会見する小林哲也近鉄球団社長(左)と山口昌紀、近畿日本鉄道社長

誕生祝いのムードが一変し、しばらく皆でぼうぜんとしました。誰かが「あっ」と気付き、皆で三塁側のロッカールームに走りました。相手のパドレスには、近鉄に在籍していた大塚晶則投手がいたのです。

大塚のコメントを取ろうとしたのですが、彼とどのような会話を交わしたか記憶にありません。この時点では、日本経済新聞に記事が掲載されているという情報しかなく、大塚としてもコメントのしようがなかったでしょう。

七夕のオーナー会議「もう1つの合併が…」

2004年は、野球界にとって大変な年でした。

手帳を見ると、私は7月2日にニューヨークから日本へ戻り、同7日に行われたオーナー会議を取材しています。大荒れの会議になることは予想されており、「ここは見逃せない」と思い、上司に頼んで一時帰国の予定を早めてもらったのです。

この席上で、26年ぶりにオーナー会議に出席した西武堤義明オーナーが「もう1つの合併が進んでいます」と発言しました。西武、日本ハム、ロッテ、ダイエーのうち、2球団が合併し、球界全体で10球団とする構想です。

「好きで減らすのではありません。5チームでやってどこかが脱落したら壊滅的になる。先手を打って4になって、セの6球団に1リーグでやってくれと、お願いした方が賢明だということで、(パの)4球団の考えがまとまって研究しているところ。今日は古株の私がパを集約してセにお願いした。来季からと思っています」

2004年7月7日、26年ぶりにオーナー会議に出席した西武堤義明オーナー(左)は、巨人渡辺恒雄オーナーとともに会場に現れた

2004年7月7日、26年ぶりにオーナー会議に出席した西武堤義明オーナー(左)は、巨人渡辺恒雄オーナーとともに会場に現れた

1リーグ制への移行が必至の情勢から、労組日本プロ野球選手会が12球団の維持に動き、ストライキを経て、楽天の新規参入へと至ります。

球界再編からの19年間、プロ野球は大きく変わってきたと、私は強く感じています。

交流戦やCSの導入、ドラフトやFA、ポスティングなどの制度改革はもちろん、ファンサービス、地域貢献も積極的になっています。巨人戦の放映権に頼る球団経営は一変し、各球団がそれぞれの魅力を発揮しているように思えます。

もちろん細部を見れば改善点は多々ありますが、球界再編以降という長いスパンで見れば、大きく発展したと断言してもいいでしょう。

近鉄の応援スタンドには、スト決行を決断した選手会支持の横断幕が掲げられた

近鉄の応援スタンドには、スト決行を決断した選手会支持の横断幕が掲げられた

2004年当時、私たち野球担当記者は、あちこちで議論を交わしました。

「プロ野球は何のためにあるのか?」

「これからの野球界はどうあるべきか?」

若い頃の私はすぐに熱くなるタイプでしたから、球界幹部や球団代表と激論になったこともたびたびでした。選手と真剣に野球界について語り合う機会も多々ありました。

当時を思い出すと、立場は違えど、多くの人が「プロ野球を衰退させてはならない」という熱い思いを胸に抱いていたように感じます。

6月13日がくるたび、野球を楽しめる現状を幸せに思います。

編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。