【注目新人の初キャンプ〈3〉】松坂大輔は報道陣から逃走し、ピラフを食べて怒られた

プロ野球はキャンプから実戦のオープン戦へと入った。DeNA度会隆輝外野手(21=ENEOS)らルーキーたちもそれぞれに存在感を示している。さて、注目ルーキーの初キャンプを振り返る連載の第3回は、1999年(平11)、西武ライオンズに入団した松坂大輔投手(当時18)。ケタ外れの注目を受けながら、持ち前の明るさで切り抜けた様子が伝わってくる。当時の日刊スポーツから振り返りたい。(内容は当時の報道に基づいています。紙面は東京本社最終版)

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サイン書きすぎ腱鞘炎

人気者の松坂ならではのエピソードを見つけた。入寮する1999年1月9日付の紙面である。

低く速い球筋で「ものの違い」を見せつける怪物だが、練習後に明るい表情のまま「(右手首に)違和感がありました。自分ではけんしょう炎だと思っているんで、(グラウンド外では)湿布なんかしているんです」と、打ち明けた。12月28日の入団発表直後から右手首の不安を訴えていた。理由はサインの書き過ぎだという。西武入りを決めてからすでに1000枚以上の色紙にペンを滑らせた。いつの間にか手首に未体験の感覚を感じていた。

(中略)名刺代わりとなるサインが重要なファンサービスになるのは知っている。それだけに、「(今は)サインはちょっと……。手首は野球だけに使いたいです」と苦笑いした。

横浜高のエースとして甲子園で春夏連覇を果たし、夏の決勝戦ではノーヒットノーランも達成した。ケタ違いの注目度、人気を誇っていた。ファンから求められるサインの量も群を抜いていたのだろう。

1999年1月9日、入寮の日に建築中の西武ドームを見学する松坂

1999年1月9日、入寮の日に建築中の西武ドームを見学する松坂

笑ってしまう記事が、キャンプ初日の様子を伝える2月2日付の紙面に載っていた。「とっておきメモ」とカットがついた、こぼれ話である。

注目ルーキー松坂大輔投手(18)は朝食のメニューまで取材されます。「メニューですか? いや、まだ聞いていません。えっ、練習メニューじゃないんですか?」。すいません松坂君。朝食のバイキングで何を食べたか知りたいんです。「え~と、ハッシュドポテトでしょ。ソーセージ2本、ごはん、ハム1枚、キムチにめんたいこにイチゴ7個にみかんの大きいやつ(地元名産ぶんたん)を5切れと、ヨーグルトにオレンジジュース1杯です」。細かいご協力、ありがとうございました。

おそらく記者が「今日のメニューを教えて」と話しかけ、松坂は練習メニューのことだと思ったのだろう。まあ、野球担当記者に質問されれば、そう受け止めるのが当然で、まさか朝食メニューとは思うまい。

なお、筆者は(西武担当=今井貴久)と書いてある。彼はこの後、松坂と深い信頼関係を築いていくのだが、2014年に43歳の若さで逝去した。同僚を思い出しながら、じっくりと読み返した。

1999年1月14日、テレビ出演のため電車に乗った松坂は駅員から激励を受ける

1999年1月14日、テレビ出演のため電車に乗った松坂は駅員から激励を受ける

注目ルーキーが入団するとあり、日刊スポーツは西武担当を2人に増員していた。今井記者ともう1人だが、彼も「とっておきメモ」を残している。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。