阪神タイガースの優勝でルーブル美術館に「六甲おろし」が響いた

日刊スポーツは1946年(昭21)3月6日に第1号を発刊してから、これまで約2万8000号もの新聞を発行しています。昭和、平成、そして令和と、それぞれの時代を数多くの記事や写真、そして見出しで報じてきました。日刊スポーツプレミアムでは「日刊スポーツ28000号の旅 ~新聞78年分全部読んでみた~」と題し、日刊スポーツが報じてきた名場面を、ベテラン記者の解説とともにリバイバルします。懐かしい時代、できごとを振り返りながら、あらためてスポーツの素晴らしさやスターの魅力を見つけ出していきましょう。

第8回は阪神タイガースの優勝です。2リーグ制後、過去5度のリーグ制覇を、日刊スポーツがどう報じてきたか振り返ります。(内容は当時の報道に基づいています。紙面は東京本社最終版)

プロ野球

1985年10月16日、阪神はヤクルトに引き分けて優勝を決め、吉田義男監督を胴上げする

1985年10月16日、阪神はヤクルトに引き分けて優勝を決め、吉田義男監督を胴上げする

日本列島「虎フィーバー」

1985年(昭60)から振り返る。21年ぶりのリーグ制覇は「虎フィーバー」と称され、日本列島が沸き返った。

この年は忘れられない事件が多い。豊田商事会長の刺殺事件、日本航空123便の墜落事故、前年84年からのグリコ森永事件も続いていた。心の中に重くのしかかる数々の出来事を吹き飛ばすように、阪神の快進撃を騒いだ。

リーグ優勝の決定を報じる同年10月17日の日刊スポーツも、空前絶後の大騒ぎである。1面のメーン見出しは「阪神優勝」とストレートだが、その横にある業界用語で「ノド」と呼ばれる見出しが目を引く。

「トラ特集全ページに登場!!」

スポーツ新聞は野球に多くの紙面を割くが、それでもサッカーや相撲などスポーツ、公営ギャンブル、社会、芸能と幅広い話題を掲載している。全ページに阪神が登場とは…一体どのような構成になっているのか見ていきたい。

【1面】見出しは「阪神優勝 21年ぶり満願ファン絶唱!」。マジック1で迎えたヤクルト戦(神宮)に5-5と引き分け、優勝が決まった。三冠王のランディ・バースが胴上げをされている写真の上には、「六甲おろし」の歌詞が書かれている。

【2面】「掛布振る舞い美酒」。4番打者として活躍した掛布雅之を中心に、選手たちのビールかけの様子が描かれている。川藤の「こんなにええもんやとは…」、吉田義男監督の「レギュラーの人たちばかりではなく全部の力で勝ち取った優勝です」といったコメントが載っている。

【3面】「歓砲52号バース MVP決定弾」という見出しで、胴上げの様子が載っている。吉田監督、掛布、川藤幸三、バース、岡田彰布、そして真弓明信が次々と、ナインの手で宙を舞ったとある。

現監督については、次のように書かれている。

忘れてはいけない男が泣いた。この男が泣くことなどないと思っていたのに、岡田の涙にナインが涙を誘われてまた泣いた。選手会長が5人目の胴上げだった。

「もう阪神では優勝できないかも、と思った。でも、だれよりも阪神で優勝がしたかった」

選手会長の〝看板〟に押しつぶされないために練習に没頭した。ドローを決めるホームインは、その練習のたまものだった。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。