空前絶後の大記録、江夏豊の「ドギモ抜く9連続三振」は本紙記者のアシストだった?

日刊スポーツは1946年(昭21)3月6日に第1号を発刊してから、これまで約2万8000号もの新聞を発行しています。昭和、平成、そして令和と、それぞれの時代を数多くの記事や写真、そして見出しで報じてきました。日刊スポーツプレミアムでは「日刊スポーツ28000号の旅 ~新聞78年分全部読んでみた~」と題し、日刊スポーツが報じてきた名場面を、ベテラン記者の解説とともにリバイバルします。懐かしい時代、できごとを振り返りながら、あらためてスポーツの素晴らしさやスターの魅力を見つけ出していきましょう。

第7回は71年7月に行われたプロ野球オールスター第1戦で「ドギモ抜く9者連続奪三振」を達成した阪神・江夏豊の物語です。(内容は当時の報道に基づいています。紙面は東京本社最終版)

その他野球

「ドギモ抜く9連続三振」の見出しで1面を飾った

1971年7月18日付紙面

1971年7月18日付紙面

捕邪飛「とるな!」

プロ野球の大記録にはエピソードがつきものである。

1971年7月17日、オールスター第1戦で阪神の江夏豊が「9者連続奪三振」を達成した。

9人目の打者、阪急の加藤秀司がカウント1-1でキャッチャーフライを打ち上げたとき、江夏が捕手田淵幸一に「捕るな!」と叫んだ。日刊スポーツも7月18日付1面で「江夏 ドギモ抜く9連続三振」「捕邪飛にとるな!」と伝えている。

のちに江夏は、打球がスタンドに入るのがわかっていたから追うなと言ったと、真実を明かしている。そして、もう1つ、あまり知られていない裏話があった。

偉業を報じた日刊スポーツの1面本文に、次のような江夏のコメントが掲載されていた。

「どうせ、やるからには大リーグでも破れんような記録を作りたいなあ。九人全部三振とか…。いっちょ、やったろかしらん。当分破れんようなヤツ…」

試合後の談話ではない。8日前の7月9日、ファン投票1位で選ばれた時の言葉だった。そう、江夏は9連続奪三振を予告していたのだ。

しかし、日刊スポーツの紙面にはどこにも「予告奪三振ショー」とか「有言実行」とか、派手な見出しはついていない。ファン投票発表翌日の7月10日付の紙面を見ても江夏の記事はなく、阪急の強打者・長池徳二の落選とミスターG長嶋茂雄の最下位当選がトップ記事だった。

病床の少年に向けたベーブ・ルースの予告ホームランに匹敵するエピソードで、スポーツ新聞にとっては一番オイシイところなのに、なぜ…その理由をあれこれ考えていたら、あるヒントに出会った。

昨年、江夏は週刊朝日の企画で田淵幸一と対談し、9連続奪三振を振り返った。そのなかでこう話している。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。