【金子真仁】さよなら埼玉西武ライオンズ 書き切れなかった…では惜しいエピ選/前編

埼玉西武ライオンズ担当としての1年間を終えました。あまり表に見えないところで何があり、何を思わされていたか。前後編で振り返った上で心機一転、新年に向かいます。

プロ野球

湾上で着信

フェリーが桜島を離れ、鹿児島市街地のほうがむしろ近くなってきた。秋風の心地よい湾上で、スマートフォンが震える。

液晶に表示されたのは、会社の偉い人の名前。出る。「来年なんだけどさ」。1年は早い。相談というか、打診を受ける。もうすぐ下船。いったん切って、陸地で折り返した。

西武担当もあと少しなんだな―。悟る。わき出る感情は「なんか寂しい」。

1年前の秋は普通に、たまたま出社した時に(普段は月に1~2回しか本社に行かない職種です)「来年は西武担当を頼む」と偉い人に言われた。

第一印象は「えーっ…」と内心で。ロッテを3年担当したから、セ・リーグ球団の担当だと勝手に予想していた。完全に想定外の西武。さらには自宅から所沢が遠い遠い。2時間はかかる。家、帰れるのかな…。

実際は2時間まではかからずも、後に助っ人ペイトンに「Oh…!!」と驚かれるくらいの通勤時間に。ただ、それを言い訳にして取材量が落ちたら、極めてみっともないことだと思った。

1月、連日の5時台起きで新人合同自主トレへ。8時台には所沢に着く。2軍球場のカーミニークフィールドはまだ誰もいない。正確には2人だけいる。

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1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。