【西武佐藤隼輔】JUNONボーイの夢「平和に暮らす…」目標「タイトル!」/連載4

人間誰しも、歩みを止めるわけにはいきません。プロ2年目の昨季、150キロ台を連発するリリーフ左腕として台頭した西武佐藤隼輔投手(24)は今季、さらなる進化のために新たな手札を用意しています。自分を超えるために、少年時代に対戦した〝彼〟を封じるために―。プロ3年目への思いを尋ねました。

プロ野球

◆佐藤隼輔(さとう・しゅんすけ)2000年(平12)1月3日、宮城県生まれ。小学4年から野球を始め、中学時代は折立スパローズ所属。仙台高では2年秋からエースも甲子園出場なし。筑波大進学後は1年秋からリーグ戦登板。2年夏に大学日本代表入り。21年ドラフト2位で西武入団。22年3月29日の日本ハム戦でプロ初登板初勝利をマークした。182センチ、83キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸3000万円。

「簡単に言えば」

――お久しぶりです

佐藤隼お久しぶりです。西武担当に戻られたんですか?

――いえ、たまには。そういえば「JUNON」デビューだそうで、JUNONボーイということで、おめでとうございます

佐藤隼なんで僕が呼ばれたか分からないです。

――さて、オフはどんな感じでした?

佐藤隼簡単に言えば、ツーシームとパームの2球種の練習です。あとは筋力とか。そんなに体を大きくしようとは思ってないですけど、やっぱり10月と11月で筋力量が落ちてたので、それを戻そうかなと。

――一気に2球種。食い込む系と落ちる系ですね

佐藤隼ツーシームは豊田コーチから「投げてみたらどうだ」ということで。

パームは大学(=母校筑波大)の川村監督から。9月にファームに落ちた時に連絡をいただいて、変化球の話になって。その時はスライダーで悩んでたんですけど「パーム、どうだ?」って話になって。

――いろいろな球種がある中で、割と絶滅危惧種的なパームボールになったのは、なぜですか?

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1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。