【金子真仁】佐々木朗希と弟・怜希の上京初日を取材する縁…あえて同じ質問をしてみた

今や海外からも注目されるロッテ佐々木朗希投手(22)には弟がいます。2人の兄と同じ岩手・大船渡高でプレーした佐々木家三男の怜希投手(18)。彼は春から名門・中央大学で硬式野球を続けます。縁あって4年越しで次男と三男、2人の〝18歳、上京初日〟を取材することができました。せっかくなので、同じ質問をしてみました。

プロ野球

◆佐々木朗希(ささき・ろうき)2001年(平13)11月3日、岩手県陸前高田市生まれ。11年の東日本大震災直後の少年野球大会「リアスリーグ」で、ロッテの本拠地QVCマリン(当時)でも登板した。昨年4月、U18高校日本代表候補合宿の紅白戦で国内高校生史上最速163キロをマーク。高校時代に甲子園出場はなし。19ドラフト会議では1位指名で4球団競合の末、ロッテ入団。22年のオリックス戦で完全試合達成。日本新の13者連続三振、同タイの1試合19奪三振をマークした。プロ通算46試合で19勝10敗、防御率2・00。192センチ、92キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸8000万円。


◆佐々木怜希(ささき・れいき)2005年(平17)4月25日生まれ、岩手県陸前高田市出身。猪川小3年時に猪川野球クラブで野球を始め、大船渡一中では軟式野球部に所属。大船渡では1年秋に遊撃でスタメンに定着。2年秋から投手に挑戦。3年夏の岩手県大会は初戦の盛岡農戦で7回から登板。自己最速143キロを3度マークするなど、1回1安打無失点。3回戦・盛岡一戦では先発も、2安打6四死球3失点(自責1)と3回途中で降板。3失点が響き、チームは1―3で敗れた。憧れの選手はオリックス山本由伸。178センチ、72キロ。右投げ右打ち。

りんごジュースの少年が

ノックの音に「失礼します」が続き、練習着の佐々木怜希が入ってきた。ドンピシャに目線が合う。どこかエキゾチックさを感じる目に、シャープなあごのライン。とても似ている。

高校時代から佐々木朗希を4年間追いかけ、1年の空白を経て、今度は弟の佐々木怜希と野球の現場で会う。「地球とボールとご縁はまるい」って、その通りだなとつくづく思う。

初めて怜希少年に会ったのは5年近く前のこと。場所がどこかは避ける。当時は中学2年生。ジュースを飲んでいた。確か、りんごジュース。あいさつした。思春期の彼は目線を合わせず、照れくさそうにごにょごにょと言った。私の5年間と彼の5年間はまるで違う。大きくなったな。シンプルに思う。今は143キロを投げるという。

20年1月8日、朗希はさいたま市にあるロッテの球団寮に入った。24年2月1日、怜希は東京・八王子市にある中大硬式野球部の寮に入り、翌2日に初めてグラウンドを踏んだ。

1486日、4年と25日の時を経て「大船渡から上京した18歳の佐々木投手」の初日に立ち会う。彼らは同じなのか、違うのか。怜希にあえて、当時の朗希にしたものと同じ質問を投げかけてみた。

「楽しみな気持ちです」

――入寮しての今の心境はいかがですか?

20年1月の佐々木朗希(以下「朗希」) 寮生活は初めてなので、すごく不安な気持ちと、これから野球をたくさん思う存分できる楽しみな気持ちです。

24年2月の佐々木怜希(以下「怜希」) きのう入寮して今日初めての練習なんですけど、レベルの高さっていうのを感じてます。

――寮生活にはどんな不安がありますか?

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1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。