【私と長嶋さん〈13〉】「引退レコード」の秘話 もう1人の4番サードNの物語/中

長嶋さんと同じ年に巨人に入団した「もう1人の4番サードN」難波昭二郎さんは実働5年で引退しました。しばらくして音楽業界に身を投じ、ワーナー・パイオニアでさだまさしらのレコードをプロデュース。同社の取締役にまで上り詰めました。「ライバルにして一番の長嶋ファン」の物語、2回目です。

プロ野球

◆難波昭二郎(なんば・しょうじろう)1935年(昭10)2月19日生まれ、大阪府出身。高槻高から関大に進み、関西6大学記録(当時)の通算7本塁打をマーク。「東の長嶋」「西の難波」と並び評された。58年巨人に入団。62年に西鉄に移籍し、その年限りで引退した。実働5年間で179試合に出場、打率2割1分2厘、7本塁打。173センチ、75キロ。右投げ右打ち。09年8月14日、心不全のため亡くなった。

争奪戦 動かなかった理由とは

74年 引退式で別れのあいさつをする長嶋さん

74年 引退式で別れのあいさつをする長嶋さん

日本中が涙した、長嶋茂雄の現役引退。

「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残したセレモニーの様子や、当日のラジオ実況などを収めたレコードを出す企画が持ち上がった。

そのころ難波は、音楽業界のワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)に勤めていた。さだまさしや小林幸子らのレコードを手がけ、サラリーマンとして順調にキャリアを積み上げていた。

難波昭二郎さん(左)と俳優の石原裕次郎。長嶋茂雄さんとともに親交があった(難波貴司さん提供)

難波昭二郎さん(左)と俳優の石原裕次郎。長嶋茂雄さんとともに親交があった(難波貴司さん提供)

「長嶋引退レコード」は制作権を巡って当然のごとくレコード会社間で争奪戦となった。

しかし、難波は動かなかった。その時のことを、長男貴司さん(60=社会人野球エイジェック元監督)にこう説明している。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。