【私と長嶋さん〈25〉】「高校大学の友人は一生…」 山口・周南市との意外な縁/4

立大野球部で長嶋茂雄さんの1学年上だった吉元清登さんはマネジャーに転身して手腕を発揮しました。

野球部のキャンプやオープン戦を故郷で開催し、長嶋さんと周南市のつながりをつくりました。卒業後も長嶋さんとの交流は続き、2015年(平27)に亡くなるまで、常に親しい関係にありました。

長嶋さんと周南市の意外なつながり、最終回です。

プロ野球

「長嶋さんとなぜ親しくなったのか」

吉元清登さん(写真左)の長男で、東映株式会社・上席執行役員の央(たかし=61、写真右)さんは、ある時、父親に「長嶋さんとなぜ親しくなったのか」と聞いた。

清登さんの答えはこうだった。

「気が合ったんだよ」

「気が合ったんだよ」

立大時代の遠征先での長嶋茂雄さんと吉元清登さん(右から2人目)(吉元央さん提供)

立大時代の遠征先での長嶋茂雄さんと吉元清登さん(右から2人目)(吉元央さん提供)

清登さんは徳山高校のエースかつ主軸打者で、夏の甲子園出場をかけて西中国大会(当時は広島、山口で1校)に出場した。しかし立大進学後に肩を壊し、当時の砂押邦信監督からマネジャー転身を薦められ、裏方に回った。

旅館でくつろぐ長嶋茂雄さんと吉元清登さん(右から2人目)(吉元央さん提供)

旅館でくつろぐ長嶋茂雄さんと吉元清登さん(右から2人目)(吉元央さん提供)

そのころ東京6大学の人気はプロ野球を上回り、キャンプやオープン戦開催を全国から誘致されるほどだった。各地との交渉役まで担った清登さんはチーム内外の信頼を集め、そこに長嶋さんが入ってきた。

打撃練習を行う立大時代の長嶋茂雄さん(吉元央さん提供)

打撃練習を行う立大時代の長嶋茂雄さん(吉元央さん提供)

央さんは言う。「父は(血液型が)A型でマネジャーという立場もあり、B型でマイペースの長嶋さんをうまく受け止めたのではないでしょうか」。

「年俸の半分をポンと」

清登さんは大学卒業後、有名証券会社に就職。その時のエピソードを周南市の純喫茶「たまゆら」の佐鹿(さしか)久美さんが聞いていた。長嶋さんが愛した、創業60年の老舗店のオーナーだ。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。