【私と長嶋さん〈21〉】キリマンジャロ見てなぜか涙が 半世紀伴走した野球人/4

2004年(平16)3月4日、アテネ五輪野球・日本代表監督の長嶋茂雄さんが突然、脳梗塞で倒れました。小俣進さん(74)は長嶋さんの復活を信じ、五輪用に特別なユニホームを発注していました。半世紀近く、長嶋さんに伴走してきた野球人の回想、最終回です。

プロ野球

◆小俣進(おまた・すすむ)1951年(昭26)8月18日生まれ、神奈川県出身。藤沢商(現藤沢翔陵)―コロムビア―大昭和製紙を経て、72年ドラフト5位で広島入団。巨人、ロッテ、日本ハムに在籍した。174試合に登板、16勝18敗2セーブ。左投げ左打ち。現役時代は178センチ、77キロ。

02年12月 日本代表監督に就任し、会見で笑顔を見せる長嶋さん

02年12月 日本代表監督に就任し、会見で笑顔を見せる長嶋さん

なんとなく感じた異変

小俣さんはなんとなく、長嶋さんの「異変」を感じていた。

02年4月、長嶋さんはアテネ五輪に向けた日本代表の強化本部長に就任。同年12月、日本代表監督となった。

「プロ一筋に野球人生を送った。ユニホームに日の丸をつけ、日本を背負うことにかつてない興奮、重い使命を感じています」

会見で話した通り、代表監督の仕事に全身全霊で挑んだ。

翌年秋、アジア予選を勝ち抜き、五輪出場を決めた。試合会場の札幌から一緒に帰京した小俣さんは、長嶋さんの様子が気になった。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。