【無料会員記事 舞台裏】「トクサンTV」徳田正憲さんの転身 社会の荒波に負け/2

登録者数85万人を超えるYouTube(ユーチューブ)の野球専門チャンネル「トクサンTV」で企画、演者、編集の“三刀流"で活躍する通称「トクサン」こと徳田正憲さん(40)に、人気の秘けつなど制作の舞台裏を聞きました。少年野球からプロ野球まで幅広い層をターゲットにした動画は、プロ野球のスカウト、高校野球の指導者ら球界関係者もチェックするほど注目されています。動画をつくる上での裏テーマ、波瀾(はらん)万丈のサラリーマン時代―。YouTuber(ユーチューバー)として現場を見てきた経験から、「こうすれば野球界は変わる」という球界への提言など、トクサンが語り尽くしました。

3回連載の第2話を送ります。

プロ野球

◆徳田正憲(とくだ・まさのり)1985年(昭60)3月18日、東京都大田区出身。帝京高―創価大。帝京高3年時には控え選手としてベンチ入りし、夏の甲子園大会に出場。同僚には元ヤクルトの高市俊投手らがいる。創価大4年時には主将を務め、全日本大学野球選手権でベスト4へ進出。リーグ戦でMVP、首位打者などタイトルを獲得し、数球団のプロ野球スカウトが視察に訪れる逸材だった。大学卒業後は、総合ビル管理会社に就職したが、退職すると、携帯電話関連会社へ再就職。サラリーマンから転職し、現在は人気ユーチューバーとして活躍する。家族は夫人、長男の3人。172センチ、75キロ。

笑顔で写真に納まるトクサン(中央)とトクサンTVの仲間たち(撮影・河田真司)

笑顔で写真に納まるトクサン(中央)とトクサンTVの仲間たち(撮影・河田真司)

高校野球の指導者を目指していた

波瀾(はらん)万丈のサラリーマン時代。大学卒業し、最初に就職した会社は「社会の荒波に負けてしまった」とわずか2年で退職した。そんな苦難の経験が、現在の野球コンテンツをつくる上で役立っているという。

「野球が好きで、野球の楽しさを伝えたい」。

この思いは、どのようにして生まれたのか―。

トクサン順風満帆ですべてがうまくいっていたら、野球というスポーツをなめていたと思います。野球と人生をくっつけて考えることもなかったかな。

野球だけうまければいいよね、というようなマインドになっていた可能性すらあるなと。

実は小学校時代へさがのぼると、いじめを受けていた。当時、ソフトボールをやっていたのですが、週末のソフトボールだけは楽しかった。学校へ行くのはつらいなあと思いながらも、その楽しさがあるので、また頑張って学校へ行けた。

社会人になってからでもそうでした。週末の野球という楽しさがあるから、仕事も頑張れるとか。

誰しも、心の中で傷を負ったことは、あるんじゃないかな。僕は結構、多かった。その部分は当時、嫌でしたけど、そんな経験が、現在、“財産"になっていると思います。

ユーチューバーへ転身して10年目。人気チャンネルを支える企画の骨太の方針、野球への思いを加速させたきっかけは、サラリーマン時代にもあった。

生命保険会社の調査などによると、小学生男子が「将来なりたい職業」ランキングで、ユーチューバーが上位にランクされる。

帝京高(東京)時代、3年生の夏には甲子園に出場。創価大学では主将を務め、「数球団のスカウトが視察にきた」逸材だったが、ドラフト指名はなかった。

創価大時代(左)

創価大時代(左)

そんな球歴を物語るように、草野球「天晴(アッパレ)」チームの現役選手で、140キロを超える速球をスタンドインさせるなど、40歳とは思えないプレーを披露する。独特の打撃理論で、昨年11月には、長野県高校野球連盟より技術講習会に招聘(しょうへい)され、選手へ打撃指導した経験もあるという。なぜユーチューバーへ転身したのか―。

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野球

平井勉Tsutomu Hirai

Kumamoto

1967年、熊本市生まれ。1990年に入社し、プロ野球の西武、ヤクルト、巨人などを担当。米ロサンゼルス支局時代には大リーグを担当し、野茂英雄、イチローらを取材した。
野球デスク、野球部長、経営企画本部長などをへて現職。著書「清原和博 夢をつらぬく情熱のバッター」(旺文社)「メジャーを揺るがす大魔神 佐々木主浩」(旺文社)がある。