【さよならプロ野球】日本ハム山本晃大 “鉄腕”生かし打撃投手へ「宮さんに恩返しを」

今年も親しんだチームのユニホームを脱いだ選手たちがいます。引退した人もいれば、海外に新たな道を見つけた人も。オフ恒例の「さよならプロ野球」を12球団ごとにお届けします。

第10回は日本ハム山本晃大投手(26)。

プロ野球

◆山本晃大(やまもと・こうだい)1999年(平11)4月23日生まれ、三重県出身。南伊勢宿田曽小1年から野球を始める。佐久長聖で2年夏に甲子園出場もベンチ外。関学大では4年時に全日本大学選手権で8強進出。22年にBC信濃に入団し、主に先発で9勝をマーク。同年育成ドラフト4位で日本ハム入団。186センチ、92キロ。左投げ左打ち。

 
 
宮西(後列中央)との合同自主トレに参加した山本晃(前列)。左はソフトバンク長谷川、右は日本ハム堀(本人提供)

宮西(後列中央)との合同自主トレに参加した山本晃(前列)。左はソフトバンク長谷川、右は日本ハム堀(本人提供)

「この3年間、宮さんなくしては語れない」

鉄腕仕込みのメンタルを生かし、新たな道に進む。

日本ハムに3年間在籍した山本晃大投手(26)は、現役引退し打撃投手でチームを支える。1軍登板はなかったが「この3年間、宮さんなくしては語れない」。今季史上4人目の900試合登板を果たした関学大の大先輩、同じ左腕の宮西へ、感謝の思いを口にした。

戦力外通告を受ける前日、宮崎でのフェニックスリーグ同行中、球団から2軍施設の鎌ケ谷に来るよう連絡が入った。

真っ先に宮西に伝えた。育成再契約の可能性もあり、宮西からは「大丈夫ちゃうか」と励ましの言葉をかけてもらったが、現実は厳しかった。

10月22日、戦力外通告を受け「ダメでした」。こわもてだが心優しい“アニキ”は「そうかあ…何もなかったら俺がどうにかしてやるから」と、寂しがった。

25年1月、合同自主トレでブルペン投球後に宮西(右)からアドバイスを受ける山本晃

25年1月、合同自主トレでブルペン投球後に宮西(右)からアドバイスを受ける山本晃

「宮さんが走っている姿を見ていたら…」

1、2年目とオフは宮西との合同自主トレに参加。徹底的に走り込んだ。

「根性、気持ち。いかにつらい時に乗り切れるか。1月にめちゃくちゃ厳しいことやって、と。きつかったですね」

宮西考案の公園回り1周5キロのコースを、ひたすら走った。1月の約3週間で200キロ超え。神戸~名古屋間に相当する距離を走っていたこともあった。

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1973年7月生まれ、茨城県水戸市出身。水戸第一、早大卒。06年、北海道日刊スポーツ新聞社入社。09年からコンサドーレ札幌担当を8年務め2度のJ1昇格を経験。17年からアマ野球担当、23年から日本ハム担当。
中学まではサッカー、両親が指導者だった影響で高校、大学はフェンシングに励み00年富山国体出場。パリ五輪フェンシング団体金メダルメンバーの永野雄大選手は従兄弟の長男。
学生時代までは野球とほぼ縁のない人生だったが、中1で初めて後楽園球場での巨人阪神戦に連れて行ってもらい、財布を落とす。岐阜県恵那市の方が神田の警察署に届けてくださり、2000円ほど入った財布を、倍以上の交通費をかけて、水戸から東京まで受け取りに行った苦い経験あり。