ビスケットブラザーズ 22年キングオブコント王者の金看板ひっさげ東京で大勝負へ

春は卒業の季節。若手芸人が競い合う「よしもと漫才劇場(マンゲキ)」からも何組かが旅立ち、4月から本拠地を東京へと移します。2022年キングオブコント王者のビスケットブラザーズも、新天地への移籍を発表しました。3月24日にはマンゲキで卒業公演を行い、きん(32)原田泰雅(32)の新たなチャレンジが始まります。

お笑い

「暴れ人」からコンビ名改め 真骨頂のコント磨く

◆ビスケットブラザーズともにNSC(吉本総合芸能学院)33期。コンビ結成は11年4月1日。当時は「暴れ人」を名乗っていたが、13年に現在のコンビ名に。20年ytv漫才新人賞優勝。21年NHK上方漫才コンテスト優勝。22年キングオブコント優勝。23年オールザッツ漫才ゴールデンSP優勝。

◆きん写真左。91年4月27日、香川県丸亀市出身。阪神・秋山巧拓巳投手とは小学校の同級生。好きなスポーツは野球。175センチ。

◆原田泰雅(はらだ・たいが)92年1月10日、大阪府岸和田市出身。趣味は漫画。特技は長唄。身長174センチ。

「ネタはたくさんやり続けたい」

芸歴8年以上のマンゲキ所属芸人が面白さナンバーワンを競う「グランドバトル」は、2カ月に一度行われる。

順位は客席のファン投票と吉本スタッフの審査で決まるのだが、キングオブコント優勝のビスケットブラザーズでさえ、グランドバトルで勝つことはできなかった。

原田グランドバトル未勝利は心残りですが、それだけマンゲキの層が厚くて、手ごわいということ。4月からは東京が本拠地になりますが、大阪では出会えなかったようなクリエーターから刺激を得て、これまで以上に笑える舞台を作りたいです。

きん東京に移っても、ネタはたくさんやり続けたいですね。僕らのお笑いライブをプロの演出家が手がけてくれたら、どんなふうに化けるやろうか、そんな想像をしています。

新たな物を

原田これまで作り上げたビスブラを土台に、東京でどれだけ新しいものをプラスできるか。視野を広く持って、みんなで笑える舞台を作り上げたいですね。

1年前に大阪から東京へと移ったロングコートダディの堂前透(34)からは「移住先の決まっていない宇宙人みたいや」と、移籍先での立ち位置について話を聞いた。その先に待つのは天国か、地獄か? すべて自分たち次第だ。

妻子のいるきんは、家族とともに東京へ行く。

きん奥さんも僕と同郷(香川県)で、結婚を機に大阪まで来てくれました。今度は家族で東京行きですが、思ったよりも家賃が高い(笑い)。新居は大阪時代の2倍します。

きん家族で 原田家賃10倍

原田僕は家賃が10倍になりますね。大阪では西成でルームシェアしてましたから。大阪は家賃もご飯も安くていいですよ。

大阪所属だったこれまでも、東京の舞台に出演した経験は多々ある。おもしろいことに同じ吉本の劇場であっても、大阪と東京の空気は微妙に違う。

きん大阪のお客さんは、まず「とにかく笑わせてくれ」なんです。だから大先輩が多数おられるNGK(なんばグランド花月)に、トップ出番で出るときは大変です。逆に東京の劇場では、僕らを目当てに来てくれてる面があるので、むしろ温かく迎えてくれる印象です。

原田東京のお客さんは漫才やコントを見に来てくれるんですね。大阪では「おもしろいものを見せてくれ」「笑いたい」が第一です。笑いに対する目がより厳しいといえるかもしれません。

マンゲキ・ツアーも参加

3月末までは、大阪のマンゲキ所属芸人。2月4日の香川県丸亀公演から始まった、よしもと漫才劇場プレゼンツ「Kiwami極SPニッポン横断R―Lツアー」には、福岡公演(3月2日)と石川公演(同16日)への参加が予定されている。初日だった丸亀は、きんの地元でもあった。

きんありがたいことに、知ってる顔もたくさん見に来てくれました。スタッフもマンゲキの人が同行してくれたし、劇場内に飾るパネルやポスターもマンゲキと同じもの。まるごとマンゲキを丸亀に再現した感じでした。

芸人が舞台に登場する際の出ばやしに自然と手拍子が起こって、いい雰囲気を味わえました。

原田丸亀では、僕らがメインMC(司会)を務めさせてもらいました。公演中は、お客さんもお祭り気分でノリノリです。

「わざわざ、ここまで来てくれたんや!」という空気が会場に充満してました。きんの地元に錦を飾ったような、誇らしい一日でしたね。

ビスケットブラザーズといえば、丸っこい体形の2人が舞台で抱腹絶倒のコントを演じるのがトレードマーク。きんが女性にふんしたり、2人でブリーフ姿になったり、そのコントは理屈抜きで楽しめる。「動けるデブでありたい」と口をそろえるように、その体形は大きな武器でもある。

きん103キロ 原田112キロ

現在の体重は、きんが103キロ。原田は112キロという。

きん僕はNSC(吉本総合芸能学院)に入学した当時(13年前)から、今と似たような体形でした。

原田逆に、僕は70キロくらいで細かったですね。高校時代はラグビー部で、ポジションは右プロップ。ラグビーの練習して、その後はフィットネスクラブでプールで泳いでランニングするのが日課でした。

食べ盛りの高校時代。毎日5食、6食とエネルギーを補給していた。NSC入学後は運動から遠ざかったものの、食欲は高校時代と変わらず。一気に体重が増えた。

原田大人になってからは酒を飲むようになりましたからね。仲間や先輩と飲みに行くうち、あっという間にデブとなりました。

肉体自慢?で3・9ライブ

3月9日には、大阪・森ノ宮よしもと漫才劇場で「肉6ウオンテッドボンレス」公演がある。出演はビスブラに加えてダブルヒガシ、豪快キャプテンと、いずれも肉体美? の持ち主ばかり。

きん幸い、僕らはまだ大きな病気を経験してませんが、これからも健康には注意したいですね。デブだけど、健康。それが目標でもあります。

以前、吉本新喜劇の座員、小寺真理(32)のライブにゲスト出演したことがあった。このとき、ビスブラが白ブリーフでネタを披露し、小寺も同じブリーフ姿になった。「いっしょにこれをやりたかった」(小寺)と喜んでいたが、場内の男性ファンは「まさか、こんな近くで真理ちゃんのブリーフ姿を拝めるとは…」と騒然。

原田姉さん(小寺)は平気な顔でネタを楽しんでましたが、99%が男性ばかりの客席は異様なムードでした。

むしろ、僕らの方が辱めを受けた思いです。スタイルいいし、美人だし、自分の魅力に本人だけ気づいていないような、不思議な空間でした。

3・24マンゲキ卒業ライブ

ビスブラは漫才も強いが、コントこそ真骨頂。他の誰にもまねできない世界をつくりあげる。

そのルーツとして、原田はネプチューンのテレビ番組「笑う犬の冒険 テリー&ドリー」にくぎ付けとなり、モンスターエンジン、千原兄弟らの影響を受けたという。

きん僕もウッチャンナンチャンや「ごっつええ感じ」が好きでしたが、コントの世界にハマったのは原田とコンビを組んだ影響が大きいと思います。

原田僕が育ったのは大阪・岸和田ですからね。子どもの頃からボケたり、ツッコんだり、自然にしていました。週末は、当たり前のようにテレビのネタ番組を見ていましたし。

ここ数年、ビスブラが大阪のコントをリードしてきたことは明らかな事実。彼らが東京という新たな環境で、どうパワーアップしていくのか、興味は尽きない。

その前、3月24日には大阪マンゲキメンバーとしての卒業ライブ「ビスケット*ブラザーズ」(会場・よしもと漫才劇場)が控えており、こちらも見逃せない。

エンタメ

三宅敏Satoshi Miyake

Osaka

大阪市生まれ。1981年に日刊スポーツ入社。
主に芸能ニュース、社会ニュースの記者・デスクを務める。
2011年に早期退職制度で退社。その後は遊んで暮らしていたが、2022年から記者として復帰。吉本のお笑い芸人などを取材している。
好きなものは猫、サッカー、麻雀、ゴルフ。身長171センチ。