安藤美姫は言った「母ではなく、選手として来ている」 言葉に触れた記者は今思う

「ここには母ではなく、選手として来ている」。ソチ五輪をかけた13年全日本選手権前に、安藤美姫はこう話した。当時、その言葉に触れた記者が9年たった今、思うこと。

フィギュア

13年9月、ドイツ・ネーベルホルン杯出場のため、会場入りした安藤美姫

13年9月、ドイツ・ネーベルホルン杯出場のため、会場入りした安藤美姫

13年ドイツの田舎町、2人で歩いた山道

長い夜の山道だった。スケート会場から宿へとキャリケースをひいて歩く安藤美姫と言葉を交わしながら、もう日付が変わろうとしていた。

先日、ネーベルホルン杯の試合の報を目にした。毎年の事ながら、9月下旬になると、9年前の事を思い出す。そして、その当時の取材姿勢について省みる。

ドイツの田舎町、オーベルストドルフは南部に位置する標高800メートルほどの山あいの街。そこで毎年開催されるのがネーベルホルン杯で、近年では五輪前年に「最終予選」としても注目を集めてきた。

2013年も、五輪を目指すスケーターたちが集合していたが、それ以上に話題を集めていたのが安藤だった。同年4月の出産をへて、母となって初の競技会。復帰戦にこの地を選んでいた。

前年10月、GPシリーズ欠場を発表した際にインタビューをしていた縁などもあった。その場ではソチ五輪シーズンの13-14年限りでの引退を明言していた。

翌年となった13年夏、テレビ番組で出産を報告したことで、その動向は大きな話題となっていた。

記者も再び声を聞きたいと、ドイツにやってきていた。

大会からの招待枠で出場が決まったのは2週間前。こちらも急きょの渡独となった影響もあったのか、大会の取材申請に行き違いがあり、結局「メディア」として会場に入ることは許されなかった。チケットを購入し、その滑りを見つめた。

3季ぶりの試合。ショートプログラム(SP)はSPで59・79点をマークして2位。フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」は、実に安藤らしいメッセージ性の強い選曲だと感じながら、少し慎重に滑りを運んでいく姿を見た。

ネーベルホルン杯、SPを終えた安藤美姫は涙を浮かべて取材に応じた

ネーベルホルン杯、SPを終えた安藤美姫は涙を浮かべて取材に応じた

翌日のフリー。4回転トーループを決めて16歳で全日本選手権を初制覇した04年と同じ、ストラビンスキー作曲「火の鳥」は、ジャンプも休養前の難度には遠く、スピン、ステップシークエンスでも音から遅れる場面はあった。

ただ、出産からまだ半年。ほぼ参考材料がなかった産後の練習など、1回転から慎重に始めた安藤には、落胆はなかった。滑りながら、前向きになれる手応えもあったのだろう。感触を確かめるようにうなずく姿が印象に残っている。103・07点で合計162・86点で2位となった。

その後だった。

「いいですよ、歩きながらで良かったら」。

取材エリアには入れず、会場の外にいた所を見ると、事情を察した安藤はそう声をかけてくれた。

そこから、街灯も乏しい山道で少しの時間をともにした。

試合の振り返りなどを聞きながら、やはり本人には上昇していく自信があるのだなと感じたことを覚えている。

宿泊していたアパートの一室で待っていたのは、まな娘だった。2位で送られたメダルを彼女の首に優しくかけてあげていた。

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて17年。25年4月に初の異動で野球部へ配属となりました。競技経験はありませんが、現在は息子が通う少年野球チームで“球拾い”コーチとして奮闘中。記者としても、様々な話題を拾います。ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。クラフトビール好きです。