【樋渡知樹〈下〉】届かなかった五輪の夢「やりきった」その先で初めて手にしたもの

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第62弾は樋渡知樹(26)が登場しています。19年の世界ジュニア選手権を制するなど、長年にわたって米国スケート界をけん引。23年6月からは日本で浜田美栄コーチに師事し、日本国内でも親しまれました。五輪出場の夢はかないませんでしたが、現在は社会人として第2の人生を歩み始めています。

最終回となる下編では、コロナ禍で見失った情熱を取り戻し、ラストシーズンにすべてを懸けた軌跡、そして競技人生の終わりにたどり着いた心境に迫ります。(本文中敬称略)

フィギュア

◆樋渡知樹(ひわたし・ともき)2000年(平12)1月20日、米ニュージャージー州生まれ、シカゴ出身。5歳を迎える前に地元のリンクで競技を開始。16年全米ジュニア選手権で優勝し、負傷のネイサン・チェンに代わって出場した世界ジュニア選手権では銅メダルを獲得。同年夏にコロラド州に移住。19年世界ジュニア選手権で金メダル。19―20年シーズンにシニアに上がり、同年の全米選手権で3位。23年6月から単身で京都に移住し、浜田美栄コーチに師事。26年全米選手権で5位。同年2月に現役を引退。160センチ。

2022年11月、NHK杯男子SPで演技する樋渡

2022年11月、NHK杯男子SPで演技する樋渡

心をなくした冬

2022年2月。樋渡は、自宅のテレビの前に座り込むようにして、ぼうっと画面を見つめていた。

映し出されていたのは、4年に1度の大舞台、北京五輪。氷上では、幼い頃から追い続けてきたネイサン・チェンが個人で頂点に立ち、盟友ヴィンセント・ジョウも団体でメダルを獲得していた。

世界の中心で躍動する仲間たちの姿を、まるで別世界の出来事のように眺めていた。

「みんな良かったという気持ちはありましたが、心は離れていました」

本来なら胸に込み上げるはずの感情は、どこにもなかった。自分もあの場所に立ちたい、あの場所に立っていられたら、そんな思いすら浮かばなかった。

同じ舞台を目指してきたはずなのに、悔しささえ感じられない自分がいた。

◇ ◇ ◇

歯車が狂い始めたのは、その2年前だった。

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スポーツ

勝部晃多Kota Katsube

Shimane

島根県松江市生まれ。2021年4月入社。高校野球の神奈川担当などを経て、同年10月からスポーツ部に配属。バトル班として新日本プロレスやRIZINなどを担当し、故アントニオ猪木さんへの単独インタビューや武藤敬司氏の引退試合、那須川天心―武尊などを取材した。 23年2月から五輪班に移り、夏季競技はバレーボールを中心に担当。同年秋のW杯や24年夏のVNLなど。冬季競技はフィギュアスケートをメインに務め、全日本選手権は2年連続で取材中。X(旧ツイッター)のアカウントは「@kotakatsube」。