〈上〉辰吉丈一郎の足は震えていた…知られざるラスト2戦 バンコクで何があったのか

そこはカリスマボクサーがたどり着いた「終着駅」だった-。今から14年前、元WBC(世界ボクシング評議会)バンタム級王者の辰吉丈一郎の直近2試合は日本ではなく、タイでのノンタイトル戦だった。当時38歳、5年ぶり再起戦だった2008年(平20)の10月と、翌09年の3月。プロボクサーとして最後にリングに上がったバンコク2連戦は、目撃者も少なく、ベールに包まれたまま。現地で2戦とも取材した当時の担当記者が振り返った。上下編の上。

ボクシング

08年10月、試合前に会場のラジャダムナン・スタジアムを確認する辰吉

08年10月、試合前に会場のラジャダムナン・スタジアムを確認する辰吉

08年10月26日、38歳で5年ぶりの再起戦

リングを照らすライトは薄暗かった。

四方を囲む外壁の塗装は、あちらこちらが?がれていた。

カメラを撮るためリングサイドに体を預けると、ゴキブリが目の前を通り過ぎ、思わずのけぞった。高温多湿な外気が会場の中にも流れ込む。それが観客の声援と混ざりあい、独特な空気を生み出していた。

そんな古めかしい、伝統と権威のある会場。

ムエタイ(タイ式ボクシング)の2大聖地の1つとされるラジャダムナン・スタジアムが、辰吉の5年ぶり復活舞台だった。

10月のバンコクは雨期。当日は快晴だった。

午後4時の興行開始に備えて、昼すぎに会場入りした。さっそく、辰吉の写真入り横断幕が目に飛び込んでくる。黒板にスケジュールが書いてあるが、タイ語で読めない。どうやら全部で7試合あるようだ。訳してもらうと、辰吉は何と第2試合だった。

日本ならメインイベントは最後に設定されるが、そんな“常識”は、ここにはない。

しかも辰吉戦以外はすべてムエタイの若者が集う新人戦だった。

さらに現地テレビ放送は第3試合からという。辰吉にとっては89年9月のデビュー戦(対崔相勉)以来の「ノーテレビ」での開催。

異例の扱いだが、日本で「引退選手」の立場にある以上、やむを得ないことだった。

元世界王者に用意された控室は窓がなく、手狭な屋根裏部屋のよう。

そこに男は立っていた。

上半身は裸。そしてトランクス。大部分を占める白地の部分には「JOE」の文字だけ。日本では入れていた、家族の名前は外した。

あえて。

たった1人で、異国で再出発する決意を込めていた。

「海外で試合するのに、家族を引き連れたら迷惑や。1人でやろうと決めたんやから」

入場する辰吉。トランクスから家族の名前を外した

入場する辰吉。トランクスから家族の名前を外した

家族の名前外し、ガウンも着ず 裸一貫の出直し

第1試合が終わった。辰吉の入場。ガウンは着なかった。まさに裸一貫の出直し。おなじみのテーマ曲「死亡遊戯」は陣営が誰も用意しておらず流れなかった。

代わりに響いてきたのは「タッツヨシ!! タッツヨシ!!」の声援。

むき出しのコンクリートだけの観客席には、タイ邦人250人を含む日本人400人が集まっていた。大声を挙げる親衛隊のハッピには「不死鳥魂」との刺しゅう。

倒され、敗れても、戦いをやめない男の代名詞だった。

試合を待ちわびる歓声の中、人波をかき分けた主役が薄汚れたマットに上がった。

03年9月のアビラ戦以来1857日ぶりの実戦が、ついに始まろうとしていた。

年齢制限などにより国内のプロライセンスが失効。周囲の引退勧告に耳を傾けなかった。

所属してきた大阪帝拳ジムでは練習が禁じられ、知人のフィットネスジムを頼った。主婦や女子大生らがエクササイズする横で、マスク姿の辰吉が単独練習をする光景は、ミスマッチでしかなかった。

しばらくすると、知人から国内ライセンスが不要なタイでの復帰を打診され、「試合ができるなら」と飛びついた。

結果的に、ここが、たどり着いた「終着駅」となった。

この時、38歳。既に髪には白いものが混じり、背中と腹回りには肉が目立ってきた。

スパーリングでも衰えが隠せない。死と隣り合わせのボクシングにおいて、これ以上の試合は明らかに危険だった。

それでも「世界のベルトを取って、父ちゃんの遺骨と一緒に墓に納める」と言って、歩みを止めようとしない。99年1月に亡くなった父・粂二(くめじ)さんの遺骨は、大阪市内の自宅にあった。

わが道を突き進むカリスマが、どのような戦いをするのだろう。

勝ってまだ次に進むのか。

あるいは引退を決意する戦いになるのか。

複雑な思いが去来した。

5年ぶりとなるゴングを待つ辰吉。足がかすかに震えていた

5年ぶりとなるゴングを待つ辰吉。足がかすかに震えていた

開始直前。カメラをセットしながら、赤コーナーに目をやった。すると驚いたことに、足が、かすかに震えていた…。辰吉はグローブを合わせ、目を閉じて、祈っていた。長いブランク、試合勘のなさが、いつもの強気を不安にさせていた。

計量があった前日の辰吉のこんな言葉が、脳裏をよぎった。

「今はな、いろんな感情があるんや。緊張、恐怖、不安がある。あとは自分と対話せんと分からん。体が動くか、リングに上がってみないと…」