本田圭佑の言葉 本気で変わりたいあなたへ、その「覚悟」足りていますか

本棚の奥に眠っていた取材ノート。そこに答えが記されていた。「いつかは死ぬ。生きたいように生きろ」-。なぜ本田圭佑は、そう伝えたのか。7年前と今をつなぐ言葉。それは、彼が貫いてきた生きざまでもあった。

サッカー

成田空港にて。時に取材に応じ、時に無言を貫いた

成田空港にて。時に取材に応じ、時に無言を貫いた

7年前、成田で聞いた言葉

2016年3月30日、成田。

アリタリア航空のミラノ行きAZ787便は、昼過ぎのフライトだった。

成田空港の第1ターミナル北ウイング。

当時、セリエAのACミランに所属していた本田がミラノに戻る日には、朝からそこで張り込むのが日課になっていた。

思えばCSKAモスクワにいた頃は、アエロフロートの搭乗口で彼を待った。

「また来たんですか」

そう言って目線をカフェの方へと移し、出発ぎりぎりまで話せることもあれば、ひと言も聞けずに飛行機に乗り込んでしまうこともあった。

ただ、その日は久しぶりに腰を据えて取材ができた日だった。

「伝えてあげて下さいよ、彼らに-。

これはきれい事ではないんです。

本気で変わりたいと思っている人にはね、この思いを、伝えたいから。

だから、そういう人たちに伝えて欲しいんです」

ふと窓の外を見ると、青空が広がっていた。

遠くのロビーで流れているテレビのニュースでは、日中の気温は20度近くまでになると報じていた。

長いインタビューになりそうだった。

カバンからペンを2本取り出し、ひと言も漏らさないようにメモをとった。

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。