【再建ワセダの箱根を追う〈7〉】メンバーから外れた4年生、濱本寛人の覚悟

早稲田大学競走部。東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)で13回の総合優勝を誇る名門は、OBの名ランナー花田勝彦(52)を監督に迎え、学生駅伝での頂点に挑んでいる。2011年の「大学駅伝3冠」から長く離れる箱根駅伝での優勝への改革とは―。本年度は「-Rebuild-再建ワセダを追う」と題し、昨年度総合6位から2季目を迎えたチームのいまを追う。第7回は箱根駅伝の登録メンバー16人から外れた濱本寛人(4年)の姿を描く。11月の全日本大学駅伝でシード落ち(10位)となったチームに、1人の覚悟がもたらすものとは。

陸上

 
 

何のためにいま走るのか

その走る姿を見て思わずカメラを構えた。

12月20日の午後だった。

濱本は、夕刻の練習のために一足早く織田幹雄記念陸上競技上でアップのジョグを進めていた。師走に似合わない陽光の名残の夕日はまぶしく、サングラス姿で表情の全ては分からない。ただ、幾度もシャッターを切った。

練習開始前にアップを行う濱本

練習開始前にアップを行う濱本

難しい時期だ。

最上級生で箱根駅伝のエントリー16人には入れなかった。卒業後は陸上競技は続けない。何のためにいま走るのか。年の瀬に心に迫る葛藤をどう受け止めたのだろう。

12月16日に行われた合同取材会で集合するエントリーメンバー16人と花田監督

12月16日に行われた合同取材会で集合するエントリーメンバー16人と花田監督

来年がある3年生以下、来年こそはとかける意味がある後輩たちとの合同でのポイント練習を終え、すっかり暗くなった競技場を後にする前に、率直に「なぜ」を聞いた。

「もう最後なんで。毎年エントリーされない4年生いると思うんで、そういった子たちが、これから先も、僕が頑張ってたから、自分も見習って頑張ろうって思えるように、僕がちょっと、最後投げ出したらよくないと思うんで。そういう子たちがこれから先もずっと頑張っていけるように、最後、4年生らしい良い走りをして、良い顔して終わりたいなって」

サングラスを外した顔で、こちらを真っすぐに見つめた。

「一般入試組」に光を見た2011年の箱根

毎年繰り返される現実がある。3大駅伝の最後、箱根駅伝のエントリーが決まる12月上旬に、メンバー外の現実を突きつけられる選手たちの艱難辛苦。実力、ケガ、理由はさまざまだが、学年によっても意味合いが違う。特に最上級生で、箱根を競技人生の最後と決めた選手ならば、そのメンバー発表の日が、例えば校内マラソンで1等賞の喜びから始まった陸上との付き合いの一区切りとなってもおかしくない。

実際、その日を境に節制と鍛錬に明け暮れた体に少しばかりの脂肪を蓄えて、社会人になるまでのつかの間の〝シーズンオフ〟を甘受することを悪いこととは言えない。

ただ、濱本はそうしなかった。

「やっぱりな」

選外の告知には、予想もあった。

練習で走り込む濱本

練習で走り込む濱本

「いや、もう、ある程度、上尾の時にわかってたんで、覚悟はしてたんですけど…」

〝最終選考会〟の11月19日の上尾ハーフマラソン。1時間5分41秒の自己記録を刻んだが、2年後輩の山口智規が1時間1分16秒の早稲田新記録の快走をみせてから4分後のゴールに、箱根路が遠くなった現実はのしかかった。それから約2週間後、大学4年間で早稲田の「W」を背負って駅伝で走る夢がかなわない事が決まった。

入部時は9人だった現4年生はいま7人。濱本をのぞく6人はメンバーに残った。

濱本以外は、高校時代の成績でスポーツ推薦や、系列校からの内部進学、指定校推薦を利用して入部してきた。一般入試試験を通過して入部してきた「一般組」では唯一の最上級生だった。

高校時代、その「一般組」に光を見た。

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スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。