【再建ワセダの箱根を追う〈2〉】「早稲田、強し」収穫の前半 菖蒲が示した主将の形

早稲田大学陸上競走部。東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)で13回の総合優勝を誇る名門はいま、伝統を更新しながら、箱根駅伝をめぐり時代が揺れ動く学生駅伝で勝機を見いだそうとしている。2011年の「大学駅伝3冠」を最後の優勝とする中、OBの名ランナー花田勝彦(52)を監督に迎えたのは昨年6月。1月の箱根駅伝では6位と存在感を示した。昨年度の闘いを追った「あえぐ名門」に続き、本年度は「-Rebuild-再建ワセダを追う」と題して、チームのいまを追う。第2回は新主将となった菖蒲敦司(4年)らが決めたチームの目標が定まっていく過程を追った。(敬称略)

陸上

 
 
主将としてチームを率いる菖蒲敦司

主将としてチームを率いる菖蒲敦司

24年箱根の目標、菖蒲が提案した順位は

所沢キャンパスから徒歩10分ほど、陸上部の学生ならウオーミングアップがてらに走って行く姿が日常の距離に、競走部合宿所、一般的な言い方をすれば「寮」はある。

定員66人(男子のみ)、鉄筋コンクリートの3階建ての2階にある応接室。

1月19日、7人の3年生全員が集まっていた。正月の箱根駅伝を6位で終えて、翌1月4日に始動した新チームで最高学年になる面々は、机を囲むソファに座って言葉を交わしていた。

「どうする?」

新主将に決まっていた菖蒲が切り出す。新年度の箱根駅伝での目標順位を決める時間だった。

13位でシード落ちした2022年の箱根路から、2023年は一時は3位も走行しての総合6位、早稲田史上最高となる10時間55分21秒でのフィニッシュ。花田監督が就任し、チームは上昇気流を描いている。

「3位でいいんじゃないか?」

そんな声も聞こえる。

菖蒲は提案した。

「5位はどうだろう。僕らの代の最高順位になるし」。

菖蒲3年次の23年箱根駅伝は9区を走り区間9位

菖蒲3年次の23年箱根駅伝は9区を走り区間9位

20年春に入学した世代にとって、3大駅伝の最高が同年の全日本大学駅伝の5位だった。3年ほど前、思えば合宿所に入ったのは新型コロナウイルスの流行によって社会が機能停止を余儀なくされていた時期だ。

「僕らの世代は入学前に解散になっているんです」。

各自が地元を後にして、希望に満ちて参じた所沢キャンパス。3月中旬までに全国から新たな仲間が集まり、さあ桜も満開に胸も高鳴るその時期に、現実は残酷だった。

3月31日、高校生として最後の日に寮が閉鎖となり、各自は地元に戻ることを強いられた。

「さあ試合も始まるぞ、そんな時にでしたね。陸上を頑張ろうという気になることは難しかったです」

出はなを思い切りくじかれて、先行きは不透明。キャンパスライフもない。当然、監督、先輩から学ぶ環境もなかった。

「高校4年生、そんな気持ちでした」。

出発に苦難、その先もコロナ禍の影響を色濃く受けた学年こそが、いま最上級生になった。

5位-。その目標は強気より慎重に映るが、現実の難しさを身に染みていたからかも知れない。菖蒲にとっても、その設定はなじみだった。

「僕、結構、バンって無理な、できたらすごくうれしい数字と、これは絶対達成したいなという数字の2つを出すようにしてて。上の方って結局意識できない時が多いので。目標に向けてアプローチしやすいのために、下の数字の方が、これは超えなきゃって思いでやってる時が多いので」

個人的な経験をチームに敷衍させ、3位という理想も提案として残した。

「トラックシーズンを終えて、3位以内って言えるようになっていれば…」

そんな未来に期待して、主将としての最初の大きな仕事を終えた。

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スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。