【金はなくとも結果は出せる/2】東京ヴェルディ監督 「課長城福浩」時代の学び

人を育て組織を強くする東京ヴェルディ監督、城福浩(64)。伝える力をもってリソース(資源)を最大化させるリーダーの言葉には、反骨の精神が見て取れる。15年に及ぶ富士通でのサラリーマン生活、特に課長として赴任した福島・会津若松での経験が土台にある。指導者のマネジメントをテーマにした連載2回目は、城福の人生を紹介するとともに、覚悟を持つことの重要性を考えたい。(敬称略)

サッカー

 
 

◆城福浩(じょうふく・ひろし)1961年(昭36)3月21日、徳島市出身。城北高3年で日本ユース代表候補。早稲田大を経て83年に富士通入社。日本サッカーリーグ(JSL)2部でプレー、主将も務めた。コーチを経て96年に富士通川崎監督。99年4月からFC東京育成普及部長、ナショナルトレセンコーチ。01年にU-20日本代表スタッフを皮切りに世代別代表の監督を歴任し、06年のU-17アジア選手権優勝、07年にU-17W杯韓国大会を指揮(1次リーグ敗退)。08年からFC東京監督を努め、09年ナビスコ杯(現ルヴァン杯)優勝。12~14年はヴァンフォーレ甲府、16年はFC東京、18~21年はサンフレッチェ広島を指揮し、22年6月から東京V監督。23年のJ2で3位となり、その後の昇格プレーオフを勝ち抜きJ1に導く。24年シーズン終了時点での通算試合数は、J1で354試合(130勝104分け120敗)、リーグカップ57試合(23勝15分け19敗)、J2で105試合(55勝31分け19敗)で、公式戦通算515試合を指揮。その知性とあふれんばかりの情熱、戦略性からアメリカの歴史的大統領J・F・ケネディになぞらえ「JFK(JoFuKu)」と3文字で称される。

その言葉が選手を突き動かすパワーになる

その言葉が選手を突き動かすパワーになる

鋭利なロックシンガーのような言葉

個人・組織が成果を上げるための第1歩とは何だろうか?

城福の言動から浮き上がってくるのは「覚悟を決める」ということだ。

その覚悟を決めるとは?

待ち受ける困難や失敗を恐れず、強い決意を持って臨むということ。自身のプライドや考えを捨てて、課された任務に全力で打ち込むことに他ならない。

「超野心的」

「超決定機」

「尖ったヴェルディ」

覚悟を知る指揮官が口にする言葉は、どれも鋭利なロックシンガーのようだ。

そこにあるのは反骨精神。容易に与(くみ)しない気骨。自分の理想を追い求め、妥協しない姿が際立っている。

困難や失敗に恐れず、チャレンジする-。それは富士通でのサラリーマン生活が土台となっている。

その人生を詳らかにすることで「覚悟」について考えたい。

富士通サッカー部であらゆる仕事

富士通サッカー部時代にプレーする城福浩(右)(1983年天皇杯、西が丘サッカー場)

富士通サッカー部時代にプレーする城福浩(右)(1983年天皇杯、西が丘サッカー場)

早大を卒業した1983年(昭58)に富士通に入社。当時の日本リーグ(JSL)2部に所属するチームに加入した。福利厚生の一環で活動していたサッカー部だった。

勤労部所属。午後2時まで勤務した後、サッカー部の練習に出る日々だった。悩みの種があった。

「サッカーを長く続ければ続けるほど、同期との仕事の質の差が出るし、人事評価も当然厳しくなる」

6年間在籍し、最後の3年間はキャプテンも務めた。まだ3年はできるという未練があったが、悩んだ末に会社員としての将来を選択。89年、現役引退した。

社業に打ち込んだ。しかし人事異動によって再びサッカー部に戻された。

ちょうどJリーグが華やかに始まった93年。当時の中国人監督のサポート役が必要となり、そこから4年間フルタイムでサッカー部の業務に従事した。

肩書はコーチ。だが指導だけでなく、キャンプのスケジュール、備品管理、ライン引き、学生のリクルートなどありとあらゆる仕事を一手に引き受けた。

96年にプロ化の波が押し寄せてきた。ラストシーズン、城福が率いた富士通川崎サッカー部はリーグ戦こそ9位だったが天皇杯では躍進した。

3回戦でJリーグのジェフユナイテッド市原にPK戦の末に勝利し、4回戦でガンバ大阪に1-3と敗れた。プロと互角に渡り合い16強進出を果たした。

サラリーマン生活を経験し、再びスポットライトを浴びる場に戻ってきた

サラリーマン生活を経験し、再びスポットライトを浴びる場に戻ってきた

川崎フロンターレとは引き離され

アマチュアチームとしては幕を下ろした。翌97年からはプロの「川崎フロンターレ」として新たに生まれ変わることになった。

「チームを閉じるにしても、新たにプロ化に進むにしても、自分が支えたという自負があった」

だがプライドはあっけなく打ち砕かれた。

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スポーツ

佐藤隆志Takashi Sato

Tokushima

1968年(昭43)生まれ、徳島県出身。91年入社。
希望したスポーツ部に在籍し、2010年サッカーW杯南アフリカ大会、12年ロンドン五輪など取材。デスクを経て現場に戻り、再び大好きなサッカーを取材、執筆しています。
少年時代に読売クラブのジョージ与那城のプレーに魅了され、同じくヒゲをはやしたバルデラマ(コロンビア)のトリッキーなプレーにハートをわしづかみにされる。フリット(オランダ)は憧れの偉人。好きすぎて入社後に髪型をまねたところ「ドレッド」と呼ばれたのは懐かしい思い出です。
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