植木通彦が引退を決意した色紙の“感謝”の文字

中田達也選手や田中京介選手のコラムをきっかけにご縁をいただいた田中靖人先生。取材中に聞かせていただいた、とってもすてきなお話を皆さんにもお伝えしたくって…今回は番外編です♪

: 植木通彦さんが高校時代にお世話になった田中靖人校長先生（現九州産業大学教授）

物語は30年以上も前。現在は、九州産業大学にお勤めの田中靖人先生が、福岡県立小倉商業高等学校の教壇に立たれていた時のことでした。

当時2年生のクラスを受け持ち、野球部の顧問でもあった田中先生に『競艇の選手になりたい』と相談しに来たのが、17歳の植木通彦少年（現ボートレースアンバサダー）。

「野球部員としてもセンスがあったし、まだ2年生でしたからねぇ。僕は最初、ものすごく反対したんですよ。僕も当時独身でしたし『お前1人くらい食わせてやるから俺のとこに来ればいいじゃないか』とも言ったんですけど、家族のために少しでも早く就職して家計を助けたいという彼の思いを聞くとね…」と2人でワンワン泣きながら長い時間向き合った、2年B組の教室でのことを話して下さいました。

「結局、途中で諦めるようなことがあったら絶対許さんぞ！　と言って送り出したんですけど、彼の場合はホントにハングリー精神が強くてね。本当はそれまでも、近くまで来てて私の姿は見てたらしいんですけど、『中途半端なことじゃ帰っちゃならん』と思ったんでしょうねぇ。初めて総理大臣杯（現在のクラシック）で優勝した時にようやくグランドに帰ってきてくれて、後輩にジュースをごちそうしてくれました。それからは、時々顔を見せてくれますよ」とすてきなエピソードも。

: 1993年3月23日、SG初優出で総理大臣杯（現在のクラシック）を制した植木通彦選手

ただ、あの事故の時には「僕はやっぱり体張ってでも止めとかないかんかったねぇと思った」とのことで、その後もまず最初に聞くのは「ケガしてないか？」だったと言います。「やっぱり、教育者の端くれとしては心配なんですよ。“元気で一人前にやってるか？”って。今でも、植木には大変失礼なんだけど『ちゃんとやってるかー？』って言っちゃって『先生、僕いくつだと思ってるんですか？』って言われるんですけど、いつまでたっても気になるんですよねぇ」と大きく笑った先生の笑顔からは、今でもずっと見守り続けている優しい思いを感じることができました。

そんな先生だからこそ…というエピソードをもう1つ。2007年の植木選手が引退を決めた年のことです。

: 07年の引退会見で植木通彦選手（左）は谷川里江選手（中央）、高橋淳美選手と乾杯

「もう10年以上前の1月の話ですけどね。うちの家内に『この子はやめる覚悟だねー』と話したことがあるんです」とゆっくりと話し始めた田中先生。その理由は、植木さんが書いた“色紙”にありました。「それまでは毎年、正月に来てくれた時に“努力”って書いてたんですけどね、その年だけ“感謝”って彼は書いたんですよ。努力は自分のためにするでしょ？　でも、感謝は人にするものだから、その言葉が色紙に載った瞬間に彼は“やめる”と僕は思ったんです。案の定、その年のいつぐらいだったか相談に来たんで『やめる覚悟は1月からしてたよね』って言ったら『どうして分かるんですか？』って言ってましたけどね。」と、田中先生の言葉に植木選手もずいぶん驚いたようですが「これからは24場全てに感謝のレースをして終わります」と決意の表情を見せたとのことでした。

「その引き際も立派だったから、周りからまたたくさん声がかかっているんだろうけどね」と田中先生の言われる通り、その後は、やまと学校の校長や現在はボートレースアンバサダーなどを務め、殿堂入りも果たした植木さん。

「彼はずっと『競艇をギャンブルではなく、プロスポーツとして世の中に認めてもらいたい』という志を持って、その時どきの職務をまっとうしていたからねぇ。それに僕は共鳴しましたし、彼にはそういう立場であって欲しい。プロとして一流になって、その背中に憧れて子どもたちがその世界に入るんだったら僕は大正解だと思うし、本当に心から応援したくなりますよ。いろんな過去を持ってる子どもたちがいるけど、過去は変えられなくても、未来は変えられるって言葉があるように“今、ここから”って気持ちさえあればどんなふうにでも人間て成長できるんですから」と、そのお手本でもある植木さんのことをずっと誇らしげに語ってくださっていました。