過日、今年のSG第1弾、戸田クラシックを取材した。毒島誠の優勝は記憶に新しいが、印象に残ったのは、伏兵・枝尾賢(42=福岡)の活躍だった。

3日目を終えて、吉川元浩と並び得点率トップタイ。4日目は7R以降が中止になり、両者とも出走なし。枝尾は4、5枠の2走、吉川は6枠1走を残し、ともに予選を4走で終えた。着順はそろって2勝、2着1回、3着1回。タイム差で吉川1位、枝尾2位となった。

最終日、枝尾は笑って取材に応じてくれた。準優は1枠で4着。「しょうがないですよね。4日目、もし走っていたら、準優1枠がなかったかもしれないし」。準優を逃げていれば3度目のSG優出だった。痛恨の4着にも、一夜明ければ笑顔。いかにも枝尾らしい。「SGは楽しいですね」。そう言ってまた笑った。


枝尾賢はSGクラシックで奮闘。今後の走りに注目だ
枝尾賢はSGクラシックで奮闘。今後の走りに注目だ

4年ぶりのクラシックは、期するものがあった。権利を手に入れたのは、昨年11月の大村周年優勝。直後、愛夫人(旧姓森永、元選手)の父で、元選手の森永修さんが病に倒れた。病床から「クラシック、頑張ってこいよ。楽しみにしているからな」と言ってくれた。義父も戦っている。自分もやらなければ-。その思いは強かった。

3月、江戸川周年の3日目(初日は中止)に亡くなった。枝尾は途中帰郷し、落ち込む妻に寄り添った。「僕がデビューした時、お義父さんは訓練担当をされていて、妻が同期なので、いつも、同期5人で森永さん家に泊まって、訓練にいっていた。大体、2泊3日ぐらい。デビューした時からお世話になっていた人です」。初めてG1を勝った時は大喜びしてくれたという。SG初優出も妻と一緒に喜んでくれた。いつも見守り、応援してくれた。心の支えになってくれた人は、76年の生涯を終えた。

「妻がすごくお父さん子だったので、僕なんか比べものにならないくらい、落ち込んでいる。いや~準優、逃げたかったなあ…。帰ったら、お墓参りに行って、手を合わせてきます。今節、いいエンジン引いたのも、見えない力みたいなものもあったのかな」。

森永修さんについて触れたい。47年4月12日生まれ。66年11月、芦屋でデビュー。通算7084走で1092勝、優勝14度。G1は通算68走優出なし。SGの出走歴はなし、と記録には残っている。愛娘・愛さんと枝尾の結婚の際には、「全く反対されなかったですね(笑い)」と枝尾。娘婿の大舞台での活躍は、わが事のようにうれしかったに違いない。

修さんは引退してからも、芦屋、若松でボート修理、若松で掃海艇に乗り…ボートレースに関わり続けた人生だった。「お義父さんは、仕事を辞めて3年ぐらいかな」。穏やかで楽しい余生を過ごして欲しかった。自分のレースでもっと喜ばせてあげたかった。表情からは、そう言っているように見て取れた。

「妻がすごく落ち込んでいるので、僕が頑張るのは必須です。妻を勇気づける走りをしないと。子どもが3人いて、一番上の娘と義父の誕生日が一緒なんです。娘が生まれた時、お義父さんはめっちゃ喜んでくれました」。いろんな思いがあるのだろう。そう話す表情は、SG準優1枠で敗れた翌日とは思えないほど、晴れやかに感じた。今年の枝尾は、きっとやる。【網 孝広】