新田祐大(36=福島)が史上4人目のグランドスラムを達成した。残り1周で内に包まれる苦しい展開から、最後に空いたインを鋭く伸びてVゴール。19年にオールスターを制してG16冠全制覇に王手をかけてから3年、最年長で歴史に名を刻んだ。G1優勝は単発を含め9度目。2年ぶり8度目のKEIRINグランプリ(GP、12月30日・平塚)出場権も手にした。2着は守沢太志、3着は松浦悠士だった。

新田が執念を実らせた。74年の競輪の歴史で、3人しか成し得ていないグランドスラム。残すはこの寛仁親王牌と王手をかけ、一昨年も昨年も決勝で敗れて涙をのんで迎えた今年。内に閉じ込められて達成はお預けかと思う流れから、大逆転で勝った。

ラスト半周から3角、4角とわずかに空いたインから突き抜けた。表彰式では目を赤く腫らし、声を上ずらせた。「本当にうれしい。声援や励ましが、最後の苦しい流れでも背中を押してもらう力になりました」とファンに感謝した。

けがによる仕上がり不足を克服した。デビュー前から素質を評価され、国内外での活躍が期待された。競技では12年ロンドン、21年東京と五輪2大会に出場するなど、数々の功績を残した。しかし、日本代表を退いて競輪に軸足を移した直後、地元いわき平で迎えた5月のG1日本選手権の前検練習で他車と接触し、右肩鎖関節を脱臼。約1カ月半の欠場を強いられた。

それでも今大会は初日特選から果敢に仕掛けた。決勝にたどり着くと「北日本のみんなに気を使ってもらい、試合に集中できた」と気持ちを高め、チャンスを逃さなかった。

この春にはナショナルチームのジュニア短距離アドバイザーに就任した。後進の育成に力を注ぎ、競輪では規格外のスピードを発揮し続けようと努力する。G1全冠制覇の次は、年末のGP初優勝が目標になる。「競輪を広めたい」。自転車や輪界の魅力を伝えようと、これからも汗を流す。【野島成浩】

◆新田祐大(にった・ゆうだい)1986年(昭61)1月25日、福島県会津若松市生まれ。白河高で自転車競技を始め、競輪学校(現選手養成所)90期生として05年7月デビュー(函館1<7>落)。G1は10年12月に単発のSSカップみのりで初優勝。今回が19年オールスター以来9勝目。競技では12年ロンドン、21年東京五輪出場。19年世界選手権ケイリン銀メダル。通算1003戦358勝。通算獲得賞金は11億2592万8237円。172センチ、76キロ。血液型O。

◆グランドスラム 日本選手権、オールスター、全日本選抜、高松宮記念杯、競輪祭、寛仁親王牌の全G1を制覇すること。井上茂徳(引退)滝沢正光(同、現日本競輪選手養成所所長)、神山雄一郎の3人が達成していた。

◆GP出場争い 今年のG1勝者の古性優作と脇本雄太に続き、大会前は圏外だった新田祐大が権利を獲得。決勝2着の守沢太志も賞金ランク5位に浮上し、2位松浦悠士、4位佐藤慎太郎に続いて確定させた。7位の平原康多も9位清水裕友と約1300万円差あり、優位な立場になった。残るG1は11月小倉競輪祭だけで、いすも実質あと1つ。ボーダーの清水は、権利者が優勝し、山田庸平、成田和也、吉田拓矢に逆転されないことが出場条件。

<新田グランドスラム・アラカルト>

◆年長 36歳8カ月での達成は最年長。過去3人はいずれも30歳で達成。

◆最長期間 05年5月1日の選手登録から17年5カ月23日は最長。これまでは滝沢正光の11年7カ月27日。なお、4日制以上のG1初制覇だった15年日本選手権からは7年での達成。

◆史上2人目 寛仁親王牌が特別競輪(現G1)となってからは神山雄一郎に次いで2人目。

◆3年越し 王手をかけた19年8月オールスターから、3度目の挑戦で達成。