競輪で史上最多のG1・16勝、生涯獲得賞金29億円超えの神山雄一郎(56=栃木)が24日、都内で会見を開いて今年限りでの現役引退を発表した。デビュー翌年の89年から35年以上守り続けてきた最高ランクのS級から、来年1月に陥落することで決断に至った。最大のライバルだった吉岡稔真氏(54、引退)や、ついに勝てなかったKEIRINグランプリ(GP)にも触れ、号泣した。
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競輪界のレジェンド、神山雄一郎がついにバンクを去る日が来た。
取手競輪で最後のレースを快勝した翌日。淡々と会見が進む中、感情が爆発したのが対戦相手について聞かれた時だった。「魅力的な選手がいっぱいいる。強い、弱いに関係なく素晴らしい選手がたくさんいる」と言うと一気に涙があふれ、自然に好敵手について言及。「同時代だった吉岡稔真選手を自分の中で勝手にライバル視していた。常に頭の中にいて、練習して、吉岡君に認められる選手になりたくて頑張ってきたつもりです」と言うと、おえつを漏らした。
神山は自転車の名門の栃木・作新学院高から競輪学校(現養成所)61期生として入学し、在校1位、卒業記念レースも5戦全勝の完全Vという超エリート。デビュー翌年の89年に小倉競輪祭の新人王に輝き、S級1班に昇班。G1(当時特別)タイトル獲得も時間の問題と思われていた。
だが、後輩の吉岡に先を越されるなどなかなか結果が出ず、初タイトルは93年の地元宇都宮オールスターまで待たなければならなかった。この日も「初めて取った特別競輪なんで一番心に残っている」と話したように、表彰式での男泣きは語り草になっている。
その後は先行、まくりを主体にタイトルを総ざらいし、吉岡らとの激闘を勝ち抜いて史上最多のG116勝。井上茂徳、滝沢正光(ともに引退)に次ぐ史上3人目のグランドスラマー寛仁親王牌を含めた6冠としては初)に輝くなど、輪界記録は数え切れない。ただ、4年連続2着など何度も手の届くところまで来たGPだけは、ついに勝つことができなかった。
「ここまでの成績を残したのであれば、GPを勝ちたかった気持ちは正直、すごく強い。でもみんなが目指すところなので、絶対勝てるとは限らない。格好よく言えば、そこを目指して頑張ってこれたのは良かった。取りたかったのは、取りたかった…しょうがないという感じですね」。最後の最後まで自身の忘れ物を探し、もがき続けた。
今後は未定だが「何か自分のキャリアで後輩のためになることができれば」と話したように、将来的には競輪選手養成所所長への就任が有力視される。その実績は輪史にひときわ輝き、後進に伝えられ、そして永遠に語り継がれることだろう。【栗田文人】
◆神山雄一郎(かみやま・ゆういちろう)1968年(昭43)4月7日生まれ、栃木県小山市出身。作新学院高卒。競輪学校(現養成所)をへて、88年5月に花月園でデビュー(1<1>(1))。93年宇都宮オールスターでG1初制覇。G1優勝は史上最多の16度(競輪祭新人王除く)。G2優勝は8度。通算獲得賞金29億3830万1609円は歴代トップ。通算成績2931戦909勝。自転車競技では96年アトランタ、00年シドニー五輪出場。89年リヨン(フランス)世界選手権のスプリントで銀メダル獲得。180センチ、87キロ。血液型B。





















