「監督に聞く」の最終回は、異色の指導者の考えに触れる。日体大で集団行動を50年にわたって指導し、集団行動というジャンルを開拓、育てた清原伸彦名誉教授(77)には、サッカー、野球のメジャー競技にはない独自の指導法と、運動選手に対する深い理解がある。

 50年近く日体大の学生に集団行動を指導してきた清原監督は、本質的なところから切り出した。

 清原監督 サッカーをやりたい学生は、日体大の体育会サッカー部を目指して入ってくる。野球も同じです。しかし、サッカー部でやる自信のない学生はあきらめるしかない。でも、何かをしたいエネルギーがある。そういう学生を私は集団行動に取り組ませ、実演会で満足いく演技ができるまで訓練します。

 集団行動がメジャー競技と決定的に違うのは、専門性を持たない学生を集め、鍛えて高いレベルに引き上げていく点にある。いわば最初は全員が初心者だ。

 清原監督 みんな主役になりたいんですよ。それを指導者は分かってあげないと。でも、サッカーは11人、野球は9人。レギュラーが決まっている。集団行動は望めばみんなが主役になれる。けれども、統一された動きが完成されるまでには、無限の努力をしないといけない。歩く、という基本的な動きに、正確さと全体の調和を極限まで求める。奥は深く、全員の心が1つにならないと、うまくはいきません。

 競歩の選手が1分間に170歩に対し、集団行動では180歩を課す。1歩の長さも体格に関係なく一律に95センチ。極端に大股で、かつピッチを速くしなければ達成できない。そこに「強靱(きょうじん)な体をつくる」という目標を持たせる。春から秋の実演会までに、学生の歩いた総距離は東京から鹿児島に至る。

 さらに、難解なのが交差の動き。これは清原監督が文字通り渋谷のスクランブル交差点でひらめき、集団行動が一躍世に知られるようになった象徴的な動きだ。中でも、後ろ向きでの交差は、困難を極めた。

 わずかな接触で転倒する。本当にできるのか。清原監督も、学生も同じ目線で苦しんでいたある日、学生がつぶやく。「前に進む時はつま先から着地します。ですが、後ろ向きの時はかかとから着地ですね。後ろ向きの時もつま先から着地してたらどうでしょう?」。これが突破口になり、不可能と思えた後ろ向きでの交差が可能になった。

 清原監督 困難な時に指導者も学生も関係ないんですよ。一緒になって悩む。そして誰かがひらめいたらすぐに実践してみる。打開しようと模索することで、集団は1つになっていくんです。

 清原監督は常に学生を1年単位で指導してきた。「1年ごとでなければ、慢心がでる。指導者は常に崖っぷちじゃなければだめ。4年間あると思っていたら、たがが緩む」。

 専門性の極めて高い集団が日本代表と言える。集団行動はパフォーマンスへのアプローチとしては、日本代表とは全く異なる出発点を持つ。そこから難度の高いものへ挑んでいくプロセスに、清原監督の掲げる理想と、集団を1つにまとめ上げていく指導力が大きく影響している。【井上真】(おわり)

 ◆清原伸彦(きよはら・のぶひこ)1941年(昭16)1月30日生まれ、大分県出身。上宮高から日体大体育学部を経て、同大の水球部監督に就任。水球の経験はないが、研究の末に74~94年まで記録した376連勝はギネスブックに認定された。70年に考案した集団行動では、秋の実演会などを通じて普及に努めてきた。14年ソチ五輪・パラリンピックでは開会式で集団行動を指導。

 ◆集団行動 数十人の学生が競歩よりも速いペースで歩き、複数のグループに分かれながら規則正しく整列したり、隊列を替えていく。ハイライトは前進しながらスクランブル交差点を連想させるように交差し、さらに後ろ向きに歩きながらの交差。高度に訓練されつつ、調和の取れた全体の動きから、テレビなどで広く紹介され、全国の小中学校でも取り入れる学校が増え始めている。

 ◆著書 清原監督の著書「心を一つにまとめる 小学校 集団行動 演技指導のコツ」がナツメ社から発売中。