U-23アジア選手権予選(兼リオデジャネイロ五輪アジア1次予選)を戦うU-22日本代表23人が前日3日に発表されました。手倉森誠監督(47)は会見で11日ミャンマー戦の試合会場にふれ「フクアリだけに福があれば」と代名詞? のダジャレを飛ばしました。就任から約1年3カ月、いよいよ予選本番です。これまでの取り組みは紙面でお伝えするとして、このコラムでは指揮官を「ダジャレ史」で振り返ってみます。

 仙台の監督時代から得意とし、13年12月の就任会見では原博実技術委員長(当時)が「試合後のダジャレに余裕がある」と起用理由の1つに挙げたほど。愛称の「テグ」から「俺はポジテグ(ティブ?)」「明日は勝つしか(葛飾?)北斎」「広島には3回サイドチェンジすれば勝てる。3振れ(サンフレ?)ッチェ」などと連発していました。先発を聞かれた時に「なかなか面白いよ」と、FWの中島と中原の1文字目(中中)を取って2トップを明かした日すらありました。

 U-21代表を率いてからも衰えを知りません。五輪予選を前に、積み重ねてきたその一部を紹介します。

 「中東(中途?)半端な戦いはできない」(昨年1月、U-22アジア選手権。人生初の中東となるオマーンに到着した時の第一声)

 「俺、手ぶら森」(同選手権。練習後、スタッフに手荷物があるか聞かれて)

 「アギレる(あきれる?)ほどの偶然」(同8月、福岡合宿。東京でのアギーレ前監督の就任会見の内容を伝え聞き、4-3-3システムや「全員攻撃・全員守備」のコンセプトが自分の考えと一致したことに)

 「イラク(いくら?)なんでも当たりすぎ」(同8月、仁川アジア大会。1次リーグの組み合わせ抽選会で、過去2度敗れているイラクとの再戦が決まって)

 「敵を食えーと(クウェート?)言いました」(同9月、千葉合宿。アジア大会の初戦クウェート戦を前に合宿を打ち上げて)

 「インチョン(仁川)でエンチョン(延長?)で負けたなぁ」(同9月、アジア大会。現役時代の86年に同じ仁川で行われたアジアユース選手権に出場。韓国代表に延長2-4で敗れた苦い過去を振り返って)

 「イチかバチかの戦いだった」(今年2月。シンガポール遠征で同国のU-23代表に8-1で勝って)

 文字だと伝わりづらいのですが、いずれも瞬発力ある返しなのでウケは上々。本人いわく「ダジャレじゃない。名前の『誠』と『言霊』をかけた『まことだま』だ」。な、なるほど…。

 そもそも、なぜ言い始めたのでしょうか。起源は高校時代にさかのぼります(大げさ?)。最初はダジャレを発しても反応がなく、クラスが「シーン」となることで笑われるキャラだったそうです。それでも「ウケてもウケなくても笑わせたいんだ」。仙台で監督になって人前に立つ機会が増えると「硬さをほぐしたい」。ミーティングでは選手の緊張をほぐすため-。取材では報道陣をなごませ、クラブを取り巻く雰囲気を平常に保つため-。確かに大一番の前ほど冗舌でしたし、この頭の回転の速さが采配に通じる部分も、少しはあるのかもしれません。

 68年メキシコ五輪以来48年ぶりのメダル獲得へ、16日に1次予選の決戦地マレーシアへ飛び立ちます。調子のバロメーター? となるダジャレを現地でキャッチし、続報をお届けできればと思っています。【U-22日本代表担当・木下淳】


 ◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメフットの甲子園ボウル出場。04年入社。文化社会部、東北総局、整理部を経て13年11月からスポーツ部。J担当クラブは鹿島。得意ダジャレは下ネタのため自粛。