3月11日で東日本大震災から9年を迎え、今年は復興五輪と銘打つ東京オリンピック(五輪)も行われる。10歳だった11年3月に地元福島で震災を経験したサッカー女子日本代表MF遠藤純(19=日テレ)も、故郷への思いを胸に五輪での活躍を目指すアスリートの1人だ。

12歳だった12年にロンドン五輪で戦う先輩たちを現地のスタンドから見つめ、19歳で今度は選手としてW杯の舞台にも立った。その目に刻んできた“景色”が原動力。10歳の少女は今や代表に欠かせない存在にまで成長し、勝負の1年へと臨もうとしている。

11年の3月11日。小学4年生の遠藤は福島県白河市内の小学校にいた。大きな揺れが校舎を襲うと、すぐに学校に保護者を呼んでの一斉下校が始まった。校庭で待つ遠藤のもとへ向かった父の淳さんは「不安そうな表情をして立っていた」と振り返る。

あの震災で遠藤を取り巻く状況も変わった。原発事故による放射線量の影響で、当時所属していた淳さんが代表を務めるサッカークラブの屋外での活動は約1年間停止に。思い切りボールが蹴られない公民館など屋内での活動を強いられた。休日はグラウンドの使える東京や埼玉、千葉のチームが試合に招いてくれ、帰り際には先方が子どもたちへ激励のお菓子を配ってくれた。遠藤は「福島だけでなく、いろんな人に支えられてサッカーができている」。あの時のことは今でも忘れていない。

震災直後の11年7月に、なでしこジャパンが世界一となり、日本代表が自然と目標になった。12年には日本マクドナルドが小学生5人をロンドン五輪へ招待する企画「マクドナルド チャンピオンキッズ」に選ばれ、世界中から集まった子どもたちとともに現地で女子サッカー決勝などを観戦。米国に敗れて涙する日本選手らの姿が目に焼き付いた。

「すごく印象的で、自分がなでしこになって金メダルをとりたいと思った」

帰国後、受験を決めていたJFAアカデミー福島のセレクションを受けると、見事に合格。震災の影響で同アカデミーの拠点は静岡へ移っていたが、夢へと近づくため、悩んだ末に12歳で実家を離れた。

父に教わったテクニックと圧倒的なスピードが武器。18年には飛び級でU-20W杯に出場し、主力として日本を初優勝にも導いた。そして昨年にはA代表デビューから1年も経たずして、チーム最年少でのW杯出場も果たした。夢の舞台に立てたが、チームは16強敗退。「悔しさしかなかった」。出場するだけではなく、勝つことが大事なのだと大きく痛感した。

福島の実家を離れて8年目となるが、故郷への思いは変わらない。

「たくさん声もかけられますし、やっぱり特別な思いはあります。感謝の気持ちはプレーで見せたい」

今年初めての代表活動となった福島・Jヴィレッジでの合宿後にはオフを利用して実家へ帰省。英気を養い、現在はなでしこの一員として米国での4カ国対抗の「シービリーブス杯」に臨んでいる。本来はウイングなど攻撃的な位置が得意な選手だが、高倉麻子監督のもとでは左サイドバックにコンバートされた。ある程度の守備力も必要な新たな立ち位置で奮闘している。「五輪にはもちろん出たい。目の前のことをひとつひとつやるだけ」

この夏に思い描く最高の景色を求めて、遠藤は走り続ける。【松尾幸之介】


◆遠藤純(えんどう・じゅん)2000年(平成12年)5月24日、福島県白河市生まれ。JFAアカデミー福島から19年に日テレに加入。18年U-20W杯フランス大会で優勝、19年W杯フランス大会は16強。家族は両親と姉、2人の兄。167センチ、55キロ。


◆松尾幸之介(まつお・こうのすけ) 1992年(平4)5月14日、大分県大分市生まれ。中学、高校はサッカー部。中学時は陸上部の活動も行い、中学3年時に全国都道府県対抗男子駅伝競走大会やジュニアオリンピック男子800メートルなどに出場。趣味は温泉めぐり。

W杯フランス大会の応援に駆けつけたMF遠藤の父の淳さん
W杯フランス大会の応援に駆けつけたMF遠藤の父の淳さん
小学3年生の頃のMF遠藤
小学3年生の頃のMF遠藤
小学5年生の頃のMF遠藤
小学5年生の頃のMF遠藤