日本代表のバヒド・ハリルホジッチ元監督が、日本サッカー協会の田嶋幸三会長と日本協会に慰謝料1円と新聞やホームページでの謝罪広告を求めた訴訟を、ハリルホジッチ氏側が取り下げたことが10日、分かった。

関係者によると、同日、東京地裁で非公開で行われた弁論準備手続きの席上、ハリルホジッチ氏の代理人弁護士から、同氏の意向が伝えられたという。その胸の内を同関係者は「前に進みたい。争いごとは終わりにしたい」だったと明かした。

◆これまでの流れ

▽電撃解任=18年4月9日 田嶋会長が東京・JFAハウスで会見し、日本代表ハリルホジッチ監督を解任したと発表。後任はハリルホジッチ監督を評価する立場の技術委員長だった西野朗氏に。

▽怒り心頭に発す=4月10日 フランス・リールの自宅で日刊スポーツの直撃取材に「これはウソだ、でっち上げだ、陰謀だ」とぶちまける。

▽涙の来日=4月21日 再来日。羽田空港で「何が起きているのか、まだ理解できていない。真実を探しに来ました。私をうんざりさせるような状況に追いやって、ゴミ箱に捨てたような状態」。3年間付き添った樋渡群通訳が言葉に詰まりおえつを漏らす。約10日間の滞在中に日本記者クラブで反論会見もした。以来来日していない。

▽訴える=5月24日 慰謝料1円と、新聞や協会ホームページでの謝罪広告などを求め東京地裁に提訴した。被告には日本協会の田嶋幸三会長と、同協会の名が。

▽監督復帰=10月2日 古巣のフランス1部ナントの監督に就任し現場復帰。後に、悲劇的な飛行機事故で、指導したサラ選手が亡くなるという悲劇にも直面した。

▽和解案蹴る=19年1月18日 東京地裁での弁論準備手続きで、前回、昨年12月に地裁側から提案された和解案が決裂。