チームの大多数を欧州組が占めるようになった日本代表にとって、コロナ禍は脅威だった。政府の入国ルール、各国の感染状況や解散後に帰国する際の制限…。刻々と変わる状況でチームに合流するために必要な条件も変わっていく。「次になにが起きるんだという恐怖感、何をしないといけないのかというのはあった」。そう語るのは、日本協会ヨーロッパオフィスダイレクターを務める津村尚樹氏(43)だった。

20年にドイツ・デュッセルドルフにできたオフィスに駐在し、1人で奮闘している。コロナ禍では開催地に向かう際に必要な陰性証明書などを各クラブや選手に連絡する業務も担った。「たとえば入国の72時間以内にPCR検査が必要であれば、『何日の何時以降に検査してくれ』と細かく伝えていた」。万が一選手が合流できなくなれば、勝敗に影響しかねない。クラブから届く書類に最初に目を通すのも津村氏の仕事。ミスは許されなかった。

02年から札幌のマネジャーとして勤務し、07年に日本協会へ。そこから15年間、総務を務める。選手との連絡は国内組ならクラブを通すが、海外組になると直接のやりとりが基本。普段は国内にいる森保一監督らチームスタッフらに代わり、選手の調子や様子を常に把握し、サポートもする。「人と人なので、関係を作らないとうまくいかない」。代表期間外は幅広く試合を見て、代表に招集されていない選手であっても、スタメンを外れたりベンチ外になったり変化があれば連絡をとる。必要だと感じれば車を走らせて会いに行き、食事をともにする。

選手は日本から遠く離れた欧州で戦っている。「監督やコーチが直接連絡しても、立場もあって話しづらいこともあると思う。そこをなるべくすくいあげたい」。プレーだけでなく、家族や生活の問題もある。言葉の壁に苦しむ選手もいる。デュッセルドルフに来て、アジア人に対する差別が根強く残っている国があることもあらためて感じた。

選手の悩みに、すべての答えを教えることはできない。ただ「過去の選手の話とかは伝えられる」。日本代表のスタッフとして、すでに3度のW杯を経験。多くの選手と対話してきた。歴代の選手たちの経験は津村氏を通して受け継がれている。

「選手のことはリスペクトしている。ただ、気を使いすぎるのも嫌。甘やかすわけじゃないし、おかしいことは言う」。そんな裏表のない姿勢だから、選手も信頼を置く。本人は「うざいと思っている選手も絶対いる」と笑う。ある協会関係者は「代表での練習を見れば分かる。スタッフの中では津村の隣にいるときが、選手は一番やわらかい顔をしている」。選手の心のよりどころになっている。

日本代表は7大会連続となるW杯切符を手にした。コロナ禍での苦労は報われた。次は本大会に向けた強化が始まる。「中にいると目の前のことに必死だけど、(W杯は)テレビで見るとすごい。そう思うとびびります。ミスしたらやばいな」。冗談っぽく笑う目尻の小さなしわに、プレッシャーと充実感が垣間見えた。【岡崎悠利】

◆津村尚樹(つむら・なおき)1978年(昭53)10月7日、北海道出身。兄の影響で、室蘭での小学時代にサッカーを始め、日体大までプレー。在学中に札幌から声をかけられ、マネジャー業務を始める。その後07年に日本協会の総務に転職。10年、14年、18年と3度のW杯でチームに帯同。20年10月からデュッセルドルフのヨーロッパオフィスダイレクター。