FIFAワールドカップ(W杯)オーストラリア・ニュージーランド大会でなでしこジャパン(FIFAランキング11位)のMFMF宮沢ひなた(23=マイナビ仙台)が5得点をあげて大ブレークを果たした。チームはスウェーデン(同3位)に惜敗し、4強入りを逃したが、現在得点ランキングトップの宮沢は大会を通じて大きなインパクトを残した。

彗星(すいせい)のごとく現れたヒロインの中高時代の恩師・星槎国際高校の柄沢俊介監督(50)は、教え子の大活躍にも「うれしいですね。でもこれくらいはできるだろうと思っていました」と驚きは少なかった。

柄沢監督は、同校の4期生にあたる宮沢をOSAレイアFC、星槎国際で6年間指導した。中1で入ってきた時、宮沢はチームでは頭一つ抜けた存在だったという。「軸でしたね」と懐かしむ。高校、社会人チームもある同グループで、宮沢を中学年代から高校や社会人に交じってプレーさせた。

「印象深いのは、ひなたが中学1年か2年の時、U-18(18歳以下)のリーグがあって、県内で一度も勝てなかった湘南学院に、ひなたが点を取って勝ったんです。それは思い出しますね。飛び級でボランチで出ていて点を取った。フィジカルに差はあったけど、うまさでカバーしていた。だから今もフィジカルでゴリゴリやらない。海外選手とやるのは全然大丈夫だと思う」

W杯ではその快足に注目が集まったが、中学時代はボランチとして育てた。「基本的にはボランチって360度のプレーが要求されるから、視野が広くなるっていうところでは、やっぱり器用な選手というか、ある程度できる選手は、絶対視野が必要。そういうポジションの方がいいんだろうなっていうのと、今みたいにそんな爆発的なスピードがあったわけじゃないんで。速かった方ではあるけど、直線で相手ぶっちぎっていくっていう感覚ではなかった。でも速いは速かったから、狭いところでボールを扱えれば、オープンになったら当然そのスピードを生かすだけだしっていうところですね」。状況に応じてスピードを使い分ける現在のプレーにつながっている。

チームでは飛び抜けた存在だったが、全国的には無名だった。中学時代、関東トレセンには落選したこともあった。しかし、徐々に実力を上げて、高1でU-16の日本代表に選ばれて、AFC U-16女子選手権2015に出場した。スピードが目立つようになり、ポジションも前線に上がるなかで、柄沢監督が口酸っぱく言ったのが、「得点へのこだわり」と「縦への突破」だった。「点にはこだわらせた。あとは縦の突破。『縦の突破ができなかったらいらない』って。ある程度スピードがあって、それをいかせるかどうかはわからないけど、チャレンジはしないとできるようにはならないから。高校生って素直な子は、ハードルを設定すると越えてくる。ひなたはそういう選手だった。言えば言うだけやったね」。

全体練習後の居残り練習では、1対1に取り組んだ。監督やチームメートを捕まえて何度でも挑んでいたという。シュート練習も積極的に行っていた。「特にやっていたのが左足のシュート。高2の時に、ポジションを右サイドに変えたんですよ。中に入ってきて、フィニッシュがしょぼすぎるという自分の感覚があったんだと思う。左足は相当練習していたね」。1次リーグ第3戦のスペイン戦の先制点、決勝トーナメント1回戦のノルウェー戦では左足でゴールを決めた。当時の反復練習が大舞台で実を結んだ。

普段の宮沢を「天真らんまん」と表現。「カリスマ性はあるからキャプテンにしましたね。とりあえず人に好かれるタイプ。応援している人は増えたよね。たまにやらかすことはあったけど(笑い)」。

責任感が強く、義理堅い。オフの時は必ず顔を出し、今回もW杯メンバーに選出されて合宿が始まる前には、神奈川・大磯にある練習場を訪れたという。「W杯(メンバーに)決まった報告と、後輩がインターハイ(出場が)決まっていたからシューズケースのプレゼント持ってきてくれた。それで社会人チームと一緒に練習をやった」。

W杯が開催されているニュージーランドは、同校が3年に1度遠征に行く縁のある地だ。宮沢も高3の冬、全国高校サッカー選手権前にいって同年代のニュージーランド代表や州代表などと力試しをした。「そういう意味で縁はありますね。当時から相手はスピードとパワーがあって、個人が強かったね。その中でもしっかり試合には勝っていたね」。日本の年上カテゴリーだけでなく、海外選手のフィジカルレベルを高校年代から体感していたことで、初出場のW杯でも堂々としたプレーが可能となった。

中学、高校、社会人という3カテゴリーを指導し、多忙を極める柄沢監督だが、15日に行われる準決勝を現地観戦する予定だったという。残念ながら、教え子の勇姿を見ることはかなわなかったが、一回り大きくなった宮沢が、いつものように母校のグランドに顔を出すのを待っている。【佐藤成】