<ロンドン五輪アジア最終予選:日本2-1韓国>◇第2戦◇3日◇中国・済南オリンピック・スポーツセンター

 決勝点を奪ったのは、なでしこジャパンMF大野忍(27=INAC)だった。同点に追いつかれて迎えた前半46分。沢、川澄を経由して届いたパスを右足でゴール右へ決めた。なでしこリーグで首位を独走するINACの3人による連係で、日本に勝利を呼び込んだ。前日練習では左足首をひねるアクシデントに見舞われた大野だが、仲間のアシストを得て抜群の得点感覚を発揮した。

 大会得点王を目指す大野が、値千金の決勝ゴールを決めた。

 同点に追いつかれた後の前半46分。MF沢がゴール前で粘ってキープしたボールを、川澄が右足を必死に伸ばしてつなぎ、中央に駆け上がった大野が右足で押し込んだ。トレードマークの大きなエクボをへこませ、会心の笑顔で仲間と抱き合って喜んだ。「いいパスをくれたので決めるだけでした。ワンチャンスをものにできてよかった」。エースストライカーの臭覚が生んだゴールだった。

 大野にとっては、この五輪予選がある意味で“リベンジ”の大会でもある。優勝したW杯では全6戦で先発したものの、決勝の米国戦では延長戦に入る前に途中交代させられた。期待されたゴールもわずか1得点に終わり、フィーバーの中心にいながら大野は悔しさを抱えて帰国していた。「全然、納得してませんよ。ポジションはFWから2列目に変わったけどゴールにこだわって得点王目指します」と宣言する。

 19歳で代表デビューしてから「天才」と呼ばれる存在だったが、実は大きな挫折を経験している。「あの時、サッカーを初めてやめようと思った」と振り返るのは03年W杯米国大会直前。予選には代表に名を連ねていたが、直前で漏れた。外された原因は自分でも分かっていた。試合に出られない時、思い通りのプレーができなかった時、大野は明らかに“顔”と態度に出していたからだ。

 「あの時のW杯は絶対応援なんかしないし、見たくもない、って思っていた。チーム(当時日テレ)に戻っても“やめたい”って思いながらモンモンとしていた」と振り返る。「もう限界だ」と思ったころ、W杯米国大会が始まった。やっぱり見てしまったW杯だが勝っても負けても喜べなかった。その時、気付いたという。「試合に出られないからつまらないとか、サッカーはそういうモンじゃない」。4年後のW杯中国大会の予選。今度はケガで万全ではなかったが、積極的に水係を務めベンチでの盛り上げ役に徹した。今、誰もが「ムードメーカーは大野」と口をそろえる原点だ。

 天才と呼ばれる陰で挫折を知り、ムードメーカーとしての大切さを知った。今はポジション変更を言い渡されても「得点王目指す」とはい上がる強さがある。この日のゴールをきっかけに今度はピッチで大きな結果を出す番だ。