鹿島は21日、トニーニョ・セレーゾ監督(60)を電撃解任した。第1ステージ(S)は14年ぶりの負け越しで8位に終わり、第2Sも現在11位。年間も8位で目標の優勝争いに1度も絡めていなかった。後任には石井正忠コーチ(48)が昇格し、クラブ史上2人目の日本人監督となる。暫定や代行ではなく、契約の期限も設けない。少なくとも今季中の交代はないという。

 朝の緊急役員会で議論して決断し、選手寮でセレーゾ監督と会って契約解除を伝えたクラブ幹部は「選手のポテンシャルを100%引き出せていない。同じような失点、負け方が続く状況を改善できなかった」と説明。第2Sは11日の開幕新潟戦(当時の年間順位17位)こそ後半ロスタイムの2得点で逆転勝ちしたものの15日清水戦(同最下位)はスコアレスドロー。直近の19日松本戦(第2S最下位)で0-2の完敗を喫した。下位相手に勝ち点を取りこぼし、ワンパターン采配に批判の声も出ていた。

 ブラジル代表「黄金のカルテット」の1人のセレーゾ氏は00年に当時史上初の3冠を達成。05年に退任するまで5つのタイトルを獲得した。13年の監督復帰後は若手を積極起用。昨季は3位につけたが、今季は公式戦5連敗でスタート。ACLで史上初の1次リーグ敗退に終わるなど2度目の指揮は無冠だった。今季途中からは週に複数回、セレーゾ監督とクラブ幹部が会談。起用法や方向性をめぐって話し合ったが、意見の相違を解消できなかった。

 ◆石井正忠(いしい・まさただ)1967年(昭42)2月1日、千葉県市原市生まれ。現役時代はDF、MF。市原緑高、順大、NTT関東を経て92年に鹿島の前身、住友金属入り。97年までプレーした。98年に福岡移籍も左膝の前十字靱帯(じんたい)を断裂して1年で引退。J通算95試合3得点。99年に鹿島ユースのコーチ就任。02~11年は鹿島のフィジカルコーチ、12年からコーチを務めていた。179センチ。血液型B。

 ◆鹿島のシーズン途中の監督交代 今回で3度目。98年7月に就任3年目のジョアン・カルロス監督(当時42)が電撃辞任。ブラジル人3選手(ジョルジーニョ、ビスマルク、マジーニョ)との信頼関係を崩したことが理由と説明し、関塚隆ヘッドコーチ(同37)が監督代行を務めた。99年8月には、チームワーストの7連敗を喫したゼ・マリオ監督(同50)を解任。後任監督を置かず、当時S級ライセンスを持っていなかったジーコ氏(同46)が総監督に。関塚コーチ(同39)が再び監督代行に就いた。