3年ぶり2度目のJ2優勝を決めた、湘南ベルマーレの選手たちが2日、ホームタウン、神奈川県平塚市内の小学校を訪問し“先生”になって教壇に立ち、子どもたちと触れ合った。

 平塚市内の小学校を回る活動は、湘南が地域貢献活動の1つとして12年から始めたもので通称「ベルせん」。6年目の今回は、トップチームの選手が大原小学校、城島小学校、八幡小学校、真土小学校、相模小学校、中原小学校の6校、11クラスを、何人かに分散して訪問した。

 ホームBMWスタジアムに程近い大原小学校には、副キャプテンのGK秋元陽太(30)DF岡崎亮平(25)、杉岡大暉(19)が10月29日のファジアーノ岡山戦で優勝を決め、掲げたJ2優勝杯(シャーレ)を持って駆け付けた。

 3選手は5年1組を訪問し、将来へ夢いっぱいの子どもたちに人生の中で転機になった出来事について語った。39試合で32失点とリーグ最少失点(29日現在)で優勝を勝ち取った原動力となった秋元は、J1横浜F・マリノスでプロデビューしたものの出番がなく、12年に出場機会を求めてJ2愛媛FCに移籍した時、引退も覚悟していたと明かした。

 秋元 横浜に6年間所属したんですけど、ずっと試合に出られなくて、7年目の時にJ2愛媛FCからオファーをいただいた。ちょうど今の奥さんと出会って、結婚しようと思っていたので「愛媛FCで試合に出られなかったら僕はサッカーを辞める」と言った。愛媛FCでは2年間で1試合以外、全試合に出て湘南からオファーをいただいた。愛媛の2年間が人生にとって1番の分岐点です。

 平塚市の隣の、厚木市出身の岡崎は、湘南の下部組織から中大を経て15年に湘南に入団した。その中で曹貴裁監督(48)と出会い「すごい怖いんだけど、選手のことをすごい考える人で、その言葉が自然と残って、よく覚えていて…自分の土台になってプロになれた」と曹監督に感謝しつつ、出会いの大切さを訴えた。

 市船橋高(千葉)卒業1年目で34試合に出場し、優勝まで経験した杉岡は、J1のFC東京のジュニアユースからユースに上がれなかった挫折と、そこから湘南でプロになるに至った自分の歩みを語った。

 杉岡 中学生のチーム(ジュニアユース)から高校生のチーム(ユース)に上がれたのは18人中5人くらいで、僕は上がれませんでした。すごいショックだったし、落ち込みましたけど、夢を諦めず頑張ろうと、市船橋高で頑張り1回、日本一(全国高校総体)になりました。湘南からオファーをいただきましたけど、東京からもオファーをいただき、すごく悩みました。選択する時、秋元選手、岡崎選手やみんなが一生懸命やるチームでサッカーをやりたくて湘南を選びました。

 子どもたちにクイズを出したり、質問を受けるなどし、45分間の授業を終えた3人は、帰り際、校内各所で子どもたちの大声援を受けた。秋元は、サポーターが歌うチャント(応援歌)を子どもたちが歌うのを聞き「スタジアムの横の学校だから、知っていてもらってありがたい。楽しかった。5年生はかわいい」と子どもたちの反応を喜んだ。

 杉岡は「子どもたちは真剣に話を聞いていたが?」と聞かれると「あんなに静かに聞いてくれると思っていなかった。かなり緊張しました。僕が、こうやってプロになったことを伝えたかった」と振り返った。

 学校の先生にもひけを取らない、明るく巧みな話術で生徒を引きつけた岡崎は、「今回で2回目ですが、単純に楽しかった。子どもが好き。本当にかわいいですよね。純粋だし、話を聞いている顔、質問をする時の反応も新鮮で、元気をもらえた」と満面の笑みを浮かべた。【村上幸将】