川崎フロンターレが悲願の初タイトルをつかんだ。大宮アルディージャに5-0と圧勝。ジュビロ磐田に引き分けた鹿島アントラーズと勝ち点72で並び、得失点差で優勝が決まった。9月に鹿島と最大で勝ち点8差をつけられながらの大逆転。国内3大タイトルで準優勝8度に泣いてきたが、9度目の挑戦で「シルバーコレクター」を返上した。加入15年目の生え抜きMF中村憲剛(37)は地面に突っ伏し号泣。逃し続けてきた栄冠を手にし、歓喜に浸った。

 中村は試合終了の笛と同時に、地面に突っ伏した。仲間がベンチから飛び出す姿に「優勝したんだ」と確信した。03年の加入後、自身が味わった国内タイトル準優勝は7度。その悔しい思い出が走馬燈のように頭に巡り、涙があふれた。表彰台の上で「オレが15年間、探していたのはこの景色だった。長かったです。タイトルを取れずに終わるんじゃないかと思った。感無量です」と喜びをかみしめた。

 クラブとともに成長してきた自負がある。中大4年時は、関東1部昇格に集中し、就職活動もせず、就職浪人覚悟で当時J2だった川崎Fの練習に参加。03年に拾ってもらう形で加入した。契約は1年で、キャンプでは紅白戦にも入れず初日で「クビ」を覚悟した。それでも「クビになった時に次を考える」と野心を秘め、くらいついた。03年、当時の関塚隆監督から「ボランチ」の新境地を与えられ、才能が開花し、チームもJ1に昇格した。

 小柄な体格ゆえ、相手のマークに苦しんだ時期もあった。バルセロナMFイニエスタらの映像を見て研究し「相手の届かない位置でボールを受け、相手が寄せてくる前に出す」と知恵と技術で克服。日本代表へと羽ばたき国際Aマッチも68試合出場。名実ともに川崎Fの顔になった。

 だが、タイトルだけは無縁だった。ライバルチームが喜ぶ姿を、何度も真横で見せつけられ「自分がいるから優勝できないのかもしれない」とまで思い悩んだこともある。15戦無敗で鹿島に追いついての優勝に「いろんな呪縛が解き放たれた。今までやってきたことが間違っていなかったことが証明できたことが何よりうれしい」と話した。

 この15年の無冠の試練を今はこう受け止める。「もし、30歳でタイトルが取れていたら、ここまでサッカーをやっていなかったかもしれない。タイトルを取れなかったからこそ、去年、この年でMVPもらったり、今年の優勝につながったと思う」。常に口にするのは「中村史上最高」。シルバーコレクターを卒業した来季、再び優勝の喜びを味わうべく、チームをけん引する。【岩田千代巳】