清水エスパルスGMで、柏レイソル強化本部長、日本サッカー協会(JFA)技術協会員、名古屋グランパス社長などを歴任した、久米一正さんががんで亡くなったと、日本サッカー協会(JFA)相談役で、元キャプテンの川淵三郎氏(81)が24日、ツイッターで明らかにした。63歳だった。

「こんな時に悲し過ぎる訃報が~。Jリーグ設立時事務局で、創設に関わるあらゆる仕事をこなしその後柏レイソル、名古屋グランパス、清水エスパルスでGSとしてクラブ発展に尽力してきた久米一正さんが癌のため急逝された。二、三ヶ月前に会った時は元気だったのに。心からご冥福をお祈りします」(川淵氏のツイッターより。原文まま)

久米さんは1955年(昭30)7月26日、静岡県浜松市出身。浜名高から中央大学に進み、1978年(昭53)に日立製作所に入所。同社サッカー部では、ワールドカップ(W杯)ロシア大会で日本代表を率いた、西野朗氏とともに日本サッカーリーグ(JSL)で活躍。132試合に出場し11得点を記録した。85年に引退後、社業とサッカー部の強化に努め、91年にJFAとJリーグに出向し、Jリーグ創設に尽力。優勝杯の制作にも携わった。

94年には日立がプロ化し、Jリーグに参戦した柏に出向し、96年から強化本部長を務め、同年のアトランタオリンピック(五輪)で日本代表を率いた西野氏を監督に招聘(しょうへい)。99年にはナビスコ杯(現YBCルヴァン杯)を制覇するが、01年に西野氏を解任。02年には降格の危機に陥ったことを受けて日立を退社し、翌03年に清水の強化育成本部長に就任。08年には名古屋に移り、GMとなると、年俸の査定基準のマニュアルを作るなど構造改革を断行し、10年に名古屋をJ1初優勝に導いた。15年には親会社のトヨタ出身以外で初の社長となったが、翌16年にJ2降格の責任を取って退任。今年1月からGMとして11年ぶりに清水に復帰していた。