清水エスパルスは24日、取締役副社長兼ゼネラルマネジャー(GM)の久米一正さんが23日午後11時3分に大腸がんのため死去したことを発表した。63歳だった。

清水の左伴繁雄社長は公式サイトで弔辞を発表。「昨日、午後11時3分に当社、久米一正取締役副社長兼ゼネラルマネージャーが他界されました。謹んでお悔やみを申し上げるとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。今シーズン当初よりGMとして、短い期間ではありましたが、トップチームの強化を中心に持ち前のバイタリティとサッカー界随一のキャリアを持って、大車輪の活躍をされていただけに、その結果を見届けることなく逝かれてしまったことは、エスパルスを預かる立場としても、また同期としても残念でなりません。最後までチームや会社を思うばかりに、ご自身の病を伏せ、面会を断り続け、今シーズンの成果を常々望んでおりました」と、久米さんが病を隠してGM職に精励していたと明かした。

また日本サッカー協会(JFA)相談役で、元キャプテンの川淵三郎氏(81)はツイッターで「こんな時に悲し過ぎる訃報が~。Jリーグ設立時事務局で、創設に関わるあらゆる仕事をこなしその後柏レイソル、名古屋グランパス、清水エスパルスでGSとしてクラブ発展に尽力してきた久米一正さんが癌のため急逝された。二、三ヶ月前に会った時は元気だったのに。心からご冥福をお祈りします」とつぶやいた。

久米さんは1955年(昭30)7月26日、静岡県浜松市出身。静岡・浜名高から中央大学に進み、1978年(昭53)に日立製作所に入社。同社サッカー部では、ワールドカップ(W杯)ロシア大会で日本代表を率いた、西野朗氏とともに日本サッカーリーグ(JSL)で活躍。132試合に出場し11得点を記録した。85年に引退後、社業とサッカー部の強化に努め、91年に日本サッカー協会(JFA)に出向し、Jリーグ創設に尽力。優勝杯の制作にも携わった。

94年にはJリーグに参戦した柏レイソルに出向し、96年から強化本部長を務め、同年のアトランタオリンピックで日本代表を率いた西野氏を監督に招聘(しょうへい)。99年にはナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)制覇するが、01年に西野氏を解任。02年には降格の危機に陥ったことを受けて日立を退社し、翌03年に清水の強化育成本部長に就任。08年には名古屋グランパスに移り、GMとなると、年俸の査定基準のマニュアルを作るなど構造改革を断行し、10年に名古屋をJ1初優勝に導いた。15年には親会社のトヨタ出身以外で初の社長となったが、翌16年にJ2降格の責任を取って退任。今年1月からGMとして11年ぶりに清水に復帰していた。