川崎フロンターレMF中村憲剛(40)が現役生活ラストマッチを終えた。出場機会こそなかったが、アップして出場準備を整えながら、チームメートに声をかけ、励ました。試合後は初の天皇杯優勝、初のシーズン2冠の喜びに浸った。

川崎F一筋18年のプロ生活は、練習生からのスタートだった。苦楽を共にしてきたチームメートが引退セレモニーで中村におくった言葉を、いま一度振り返る。

 

◆岡山一成氏(02年~04年在籍)

ルーキーのときに4対2のボール回しをしたら、ケンゴはへたくそでした。緊張して何もできなかった。「この子1年で終わるな」と思ったけど、2週間でだんだんみんなの見る目が変わってきました。そのときはJ2で、お客さんも全然入らない弱小チームの中で、日本代表を感じられました。「俺、最初に『代表になる』って言った人でいい?」って聞いたら、ケンゴは「いいですよ」と。いまだに「オカさんが最初」と言ってくれています。

もう1回予言します。中村憲剛は日本代表監督になります! 俺の予言は当たるんです。オニさんの次になります! ケンゴがフロンターレの監督になって、日本代表の監督になる夢を、一緒に追いかけましょう!

 

◆大久保嘉人(13年~16年、18年在籍)

今年で自分も引退かな、と考えた頃にちょうどケンゴさんから電話をもらいました。いつも通り気の利いた言葉を返せず、とても寂しくて心に穴が開いた感じでした。13年に川崎Fに移籍してからは、サッカーが本当に楽しくて、ケンゴさんからのパスはサッカー人生において大きな宝です。

家族旅行に行ったりして「一緒にサッカーをやめたら歌手デビューしようか」「まずは路上ライブからスタートしたいね」と話したのを覚えています。ケンゴさんは思いを言葉にするのもうまいので、デビュー曲の歌詞を考えておいてください。自分はもうあと少し現役でやりたいと思っています。これからもともに、Jリーグや日本サッカーを盛り上げていきましょう。

 

◆鄭大世(06年~10年在籍)

僕が川崎Fを去って10年間どのクラブに行っても、みんな「初めまして」のあいさつの次に「中村憲剛、やばかったですか?」と言うくらい偉大な選手。4年半一緒にしのぎを削って苦楽を共にできたことを誇りに思うし、いろんなオファーもあったと思うけど、全ての力をフロンターレに注いだ、ダイヤモンドのような硬い意思を尊敬します。

サッカー不毛の地と言われた川崎で、まばらな観客の状態からJ最強と言われるところまで押し上げて、そこで辞めるのがかっこいい。絶対に映画になると思うので、そのときは僕に「川崎チッタ」(映画館)のタダ券をください。家族と見に行って、息子に「この選手と一緒にやっていたんだよ」と自慢します。

僕も15年もやっているけど、全く背中が見えなかったです。逃げ切られて悔しいけど、けちのつけようのない、一点の曇りもないあっぱれな幕引きに、本当におめでとうと伝えたい。夢を与えてくれてありがとうございました。

 

◆小林悠(10年~在籍)

入団が決まったとき最初に思ったのは「中村憲剛のパスを受けてゴールを決めたい」ということでした。最初はなかなか話す機会もなかったけど、ゴールを決めることで認めてもらい、親しくさせてもらい、移動の新幹線もいつも隣。通路側がケンゴさん、窓側が僕で、いつも移動中に対戦相手や試合の映像を見ているケンゴさんに「楽しいんですか?」と聞いたら、「俺がそういう仕事をやるから、お前はゴールを決めることだけ考えてろ」と言われたやりとりが印象的です。苦楽を共にしたケンゴさんと17年に初めて優勝したときの感動は、たぶんこの先のサッカー人生でも、あれを超える感動は絶対にないと思います。一緒に抱き合って喜び合えたこと、本当にうれしかったです。

「ケンゴさんがいなかったら、今の僕は絶対にいない」と断言できるくらい、ケンゴさんの存在は大きかったし、他の選手もサポーターも、ケンゴさんのパスで、ケンゴさんのプレーで、助けられた人や前向きになれた人、僕みたいに運命を変えてくれるくらいの影響を与えてもらった人も、たくさんいたと思います。それぐらい僕にとって、ケンゴさんの存在は大きかったです。本当に感謝しかないです。