C大阪の元日本代表FW大久保嘉人(39)が、22日に大阪市内で行われた引退会見で号泣した。

長い闘病生活の末、13年5月12日に61歳で他界した父克博さんへの思いを聞かれると80秒ほど言葉を詰まらせ涙した。高校時代から交際する妻莉瑛さんが胞状奇胎で抗がん剤治療を受けた15年には、愛息と丸刈りになり励ました。家族を大切にし、支えられた現役生活だった。

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思い出が走馬灯のように駆け巡った。他界した父のことを問われると大粒の涙が頬を伝い、80秒ほど言葉を詰まらせた。06年W杯ドイツ大会で落選した日、闘病中だった父は誰にも告げず小倉から新幹線に乗って大阪まで来た。小さくなった父を自転車の荷台に乗せ2人で銭湯へ。あの時に代表への思いを強くしたという。16強入りした10年W杯南アフリカ大会後に燃え尽き症候群になり、代表引退を決断。すると「お前は、バカか!」と怒鳴られた。

「すごい厳しい父でしたけど…。父がいなければ、サッカー選手にはなれていないです。(墓前に)報告したら、『良くやった』と言われると思います」

日本代表から遠ざかっていた13年、病室の引き出しから出てきた遺書にはこう記されてあった。

「日本代表になれ 空の上から見とうぞ」-

1年後の命日に、14年W杯ブラジル大会のメンバーにサプライズ選出された。大久保にとっての代表は、亡き父とともにあった。

育った環境は裕福ではなく、プロになって稼ぎ、両親を楽にさせたかった。それが原点だった。

試合で見せる荒々しさと、人柄は違う。川崎F時代の15年に妻莉瑛さんが胞状奇胎の影響で流産。抗がん剤治療が必要になった。髪が抜けることを不安に思った妻が落ち込んでいると、息子たちとともに突然、丸刈り頭にしたこともある。

引退を発表する前夜、横浜の自宅に戻って4人の愛息を椅子に座らせた。何らかの報告があると察した子供たちが「5人目? できたの? 女の子?」と勘違いしたという。

大事な試合でゴールを外すと、1人黙々とシュート練習をこなした。自分には厳しく、家族には優しかった。残り試合で、最後の勇姿を伝えたい。天国の父へ、家族へ-。【益子浩一】