今季限りでの引退を発表したセレッソ大阪の元日本代表FW大久保嘉人(39)の引退会見が22日、大阪市内のホテルで行われた。

   ◇   ◇   ◇

川崎Fで初めて得点王に輝いたのは31歳だった。「入るときは入る、入らんときは入らん」が口癖。この一喜一憂しない精神は後輩のFW小林悠にも受け継がれ、大久保が移籍したあと、何度も小林から同じ言葉を聞いた。

初めて得点王をとった年のプレッシャーは半端なかったという。7試合連続で得点が取れなかった時は「次の試合、点が取れないんじゃないかとか」と眠れない日々を経験した。「こんな苦しい思いをするなら、得点王争いをしたくないとまで思った」と、後に本音も聞いた。もちろん、当時、本心は周囲にまったく見せなかった。ただ「人にあせってると言われようが関係ない」と逃げずにシュートを打ち続けた結果、3年連続で個人タイトルを手にした。得点王をとって2年目以降は「1回取っている」との心の余裕が出たそうだ。

10代のセレッソ大阪時代の思い出話を聞いたことがある。先輩にも「試合出るなよ」「オレがDFした方がましやわ」と言っていたことを明かし「今では考えられないよね」と笑った。それでも先輩の西沢明訓氏、尹晶煥氏(現千葉監督)はかわいがってくれた。当時、車を持っていなかった大久保を練習場まで乗せ、毎日のように、食事に連れて行ってくれた兄貴。ただ、練習では厳しかった。「下手くそ」「あんなプレーするんだったらやめろよ」と連日、叱咤(しった)され、特に、西沢氏からは「下手くそはアウトサイドは絶対に使うな。常にインサイドでやれよ」と言われ続けた。

30代になった大久保が「今でもほとんどアウトサイドを使わない。インサイドでやってしまうんです。でも、インサイドの方が正確ですからね。言われたおかげで、いいくせが付いた」と振り返っていたのが印象に残っている。「言われた時は、むかつきますよ。でも、意識するようになって、それがすごく今も身に付いている。いい先輩にも恵まれた。だから、おれも若手に言いたいんですよ。それを練習でやってくれれば絶対に成長するから。言い続けるのも疲れるよ。それでチーム、そいつが良くなればと考えれば、言うしかないし」。川崎FではDF車屋、MF大島ら若手に質のいいパスを要求。その2人は後に、日本代表へと羽ばたいた。

16年の夏、クラブハウスで指導者ライセンスの説明会があり、大久保も出席した。若いころは「オレみたいな選手、教えたくない」と指導者は考えたことがなかったそうだが、「指導者になる気持ち芽生えつつある」と心境の変化を明かしていた。自身の経験を下に、どんな指導者になるのか。楽しみでもある。【16年川崎F担当・岩田千代巳】