J2ジェフ千葉が8日、ホームのフクダ電子アリーナでのファジアーノ岡山戦で、1日に80歳で死去した元監督のイビチャ・オシム氏の追悼セレモニーを行った。

オシムチルドレンだった千葉の佐藤勇人クラブ・ユナイテッド・オフィサー(CUO)がOBに声をかけ、羽生直剛氏、水野晃樹氏、通訳だった間瀬秀一氏らが駆けつけた。スタジアムには献花台が置かれ、両チームのサポーターが花を手向けた。

試合開始直前には、スタジアムの大型ビジョンで千葉を指導していたときのオシム氏の雄姿、昨年9月に、佐藤CUOがクラブ30周年記念事業でオシム氏とオンラインで対談した映像が流れた。キックオフ直前には佐藤CUOが遺影を、8人のOBがオシム氏のフラッグを持ってセンターサークルへ向かい、黙とうをささげた。

取材に応じた佐藤CUOは「献花台でたくさんのサポーター、対戦相手の岡山サポーターの方が、お花を持ってオシムさんに会いに来てくれたことに対し、あらためて本当に偉大な方に、ジェフユナイテッドでお世話になったと感じています」と心境を口にした。

オシム氏から指導を受け、最も心に残っている言葉は「野心を持ちなさい」だった。当時のジェフは優勝争いに縁がなく、プレッシャーがない順位が定位置だった。「満足していたとは思っていなかったが、オシムさんからしたら、それが一番楽で君たちは満足している、と。クラブとしても、そういうことが続いていたのかなと、言われて感じた」。

以降、「野心」を胸に「チームを優勝に導きたい」「日本代表には入りたい」「クラブの歴史に名を残したい」の思いを持ってプレーした。佐藤CUOは「プレー面ではっきりと出ましたし。プレー以外のところでも、1人の人間としてやれること、見せられることはあるなと感じたので。そこもオシムさんに出会ってから変わることが出来たと思います」と振り返った。

千葉は10年からJ2が主戦場となり、今も昇格は果たせていない。だが、オシム氏が残したアイデンティティーはあるはずだ。オシム氏も、日本のメディアのインタビューに答えるとき、最後に「それでジェフはどうなんだ」と聞いていたのも知っている。

佐藤CUOは「最後までオシムさんにいい報告ができなかった。ジェフというクラブが今、どういう方向に進んでいるのか。クラブの方向性も、オシムさんはより深いところまで気にされていたと思う。クラブとして、つくることができていないこの状況が、自分にとってふがいないですし、クラブにとっても、もっと1人1人、関わるクラブのメンバーが1人1人、考えなくてはいけないのかなと思っています」と話した。