横浜が19年シーズン以来3年ぶりのJ1優勝を果たした。FW宮市亮(29)はチームのスタートダッシュに貢献も、日本代表として出場した7月の東アジアE-1選手権で右膝前十字靱帯(じんたい)を断裂。現役引退も頭をよぎったが、チームメートら周囲の支えを胸に復帰を目指している。この日はスタンドから見守り、試合展開に一喜一憂。表彰式では自らの手でシャーレを掲げ、喜びを爆発させた。日刊スポーツに手記を寄せ、トリコロールのユニホームを着てピッチに戻る決意を示した。

   ◇   ◇   ◇

今でも、見ると身が引き締まる思いになります。日本代表でケガを負って、チームに帰って迎えた鹿島戦。横断幕に書かれた「トリコロールの宮市亮 再びピッチで輝け 待ってるぞ」の言葉。僕を突き動かしています。選手たちは全員が自分の背番号17が入ったウエアを着てピッチに向かってくれた。アスリートとして、このクラブに所属できたことが誇りです。シャーレは、思った以上に重かった。これがタイトルの重みなのかなと感じました。

ケガにつながったプレーを後悔はしていません。得点につながるシーンだったかは分からない。ただ、10年ぶりに日本代表で機会をもらい、いかないわけにはいかなかった。負傷の直後は、やってしまったなという感覚でした。何度も聞いたことがある音。言葉では表現できない、嫌な音なんです。

右膝の前十字靱帯(じんたい)断裂は2度目。前回の手術では太ももの裏の腱(けん)を移植して、今回はそれを1度外して膝蓋(しつがい)の腱を移植する手術でした。腫れた膝を見て、また走れるのかなという不安な気持ちも、正直に言えばありました。

ただ、下を向いていてはいけないと思いました。12年に(イングランドの)ウィガンに所属していた19歳のころ、エバートン戦で右足首にタックルを受けました。その4カ月前に靱帯を負傷した場所。やっと復帰できた矢先に、僕の足首はまた、壊れました。今後のキャリアがどうなるんだとやるせない感情が爆発して、ロッカールームで泣いて取り乱した。勝利のムードを壊してしまった。日本代表はもちろん、横浜に帰ったときに、その経験を生かそうと考えていました。

そうしたら、みんなが僕の背番号のウエアを着てくれて、横断幕も用意していただいていた。アスリートは楽しんでもらうことが仕事。それができなくなった自分なのに、支えてもらった。必ず何かを返したい。若い頃は「チームのために」って何なんだろうと思っていたけど、こういう気持ちなんだとあらためて感じました。

過去の手術より、膝は確実にいい状態です。復帰に向けたプロセスも、予定より1カ月前倒しにしてやれています。最後はピッチには立てませんでしたが、悔しさよりも、本当にうれしい。サポーターの皆さんを含めたこのチームがタイトルを取れたこと、自分がその一員になれたことを誇らしく思います。

僕は必ず戻ります。それが仲間やクラブ、励ましのメッセージをくださった方にできる恩返し。日産スタジアムのピッチに再び立つ、その未来を想像するだけで力がわきます。できる限り長くプレーしたい。そう思えるクラブと出会えて、幸せです。(FW宮市亮)