J3の松本山雅FCは8日、元日本代表DF田中隼磨(40)の引退会見を行った。右サイドバック(SB)を主戦場に、横浜F・マリノスや東京ヴェルディでプレー。2010年には不動の右SBとして名古屋グランパスのJ1初優勝に貢献した。

スーツ姿の田中は「今シーズンをもって現役を引退しました。最後に生まれ育った街のクラブで現役生活を終えられたことを大変うれしく思います。ファンやサポーターのみなさん、所属したクラブ、チームメート、私を支えてくださった全ての皆さまに感謝を伝える場にしたいと思います」と壇上からあいさつ。いきなり会場には拍手が起きた。

どこまでもストイックで、プロ意識の高い「田中隼磨」という選手らしい、会見、最後の晴れ舞台だった。

ビデオメッセージでは、元日本代表監督で横浜の監督として指導を受けた岡田武史氏、大久保嘉人氏、石川直宏氏、田中達也氏、川口能活氏、楢崎正剛氏、そしてサッカー界のキング、カズ(三浦知良)らレジェンドからねぎらいのメッセージが届いた。

質疑応答では、今後のことについて聞かれた。「最終戦終了の笛が鳴った時から、次の人生は始まっていると思います。ただ、今、(具体的に)お伝えできることはありません。ただ、後輩たち、子どもたちに、日本サッカーの発展のために、学んできたこと、教わってきたことを伝えていかないといけない使命がある」と答えた。

「この松本という場所は、40年前に生まれ、育った場所です。9年前に、覚悟を持って来たので、今も9年前に入団の記者会見をしたことを思い出しているんですけど、この松本にはやはり、自分の思いだったり、今まで、学んできたことだったり、ファンや、サポーターに教えてもらった、松本の流儀を、これからもみなさんに伝えていきたい」と、涙をこらえながら語った。

背番号3は、亡くなった松田直樹さんが着けていた重い番号だった。「この背番号3は今でも松田直樹の3番だと思ってます。ファンやサポーター、みなさんを代表して背番号3を、覚悟をもってつけてきました。最後は、ケガという情けない形でピッチを後にすることになって、何と表現していいか分からないですけど、覚悟をもってつけてきたことは誇りに思いますし、簡単にはつけられる番号ではないです」。特別な番号の後継指名は、松田の番号だから、との敬意からあえて言及を避けた。

長野県松本市出身で、14年からは故郷の松本でプレーを続けてきた。J1通算は420試合15得点。日本代表でも1試合に出場した。