浦和レッズが、史上初の3度目のアジア王者に輝いた。

その土台となったのは、07年の初優勝に至るところからここまで、15年以上にわたってクラブが蓄えてきたアジアを勝ち抜く術(すべ)。今大会は、そんな浦和も未経験のレギュレーションとなったが、地元での集中開催など巡り合わせも味方につけ、頂点に立った。

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クラブの蓄積の上に“幸運”の巡り合わせが重なり、史上初の3度目のアジア制覇を成し遂げた。新型コロナの影響で開催地や試合日程の変更など、異例ずくめとなった今大会。決勝トーナメントは1回戦~準決勝までは従来のホームアンドアウェー方式ではなく、埼玉での集中開催となり、実質のホームでサポーターの後押しを受けた。

集中開催にあたっては他の会場も検討された。最終的に埼玉となったのは「会場を複数にすることによるコスト面や空港からの距離などが考慮された結果」とJリーグ関係者は明かす。決勝の日程が当初の2月から5月に変更されたことも、スコルジャ体制でのチーム作りに時間的なプラスとなった。

アジアへの挑戦は、07年のACL初出場が決まった06年からスタートした。初手は強化担当が、予行演習としてG大阪の韓国・全州、中国・大連遠征に密着。“ナショナルダービー”の宿敵も、対アジアでは“同志”として同行を許された。偵察した全北とは実際、翌年の準々決勝で対戦。2戦合計4-1で勝利した。

同大会途中からは日本代表で5度のW杯に帯同した西芳照シェフに同行を依頼。オーストラリア遠征で当時のオジェック監督が「パスタがゴムみたいで、アスリートの食事ではない」と苦言を呈したことがきっかけだった。今大会も昨年4月のタイでの集中開催時にウナギなどを用意。選手のコンディションを整えた。

“アウェーの洗礼”も数え切れないほど浴びてきた。象徴的だったのは13年大会の開幕アウェー広州恒大戦。スタッフがチームより早く現地入りすると、到着した宿舎で「予約がない」と言われた。2時間も離れた地でなんとか宿を見つけたが0-3で敗れ、最終的に初の1次リーグ敗退となった。

そんな苦虫をかむ思いをへて、今がある。リスク回避のために選手と荷物は別の飛行機に載せる。渋滞などをあらかじめ想定し、スタジアムまでのルートと交通状況を見て出発時間を決める。細部まで徹底された準備が、選手を支える。

浦和はなぜ、ACLに強いのか。FW興梠は「分からないです」といたずらっぽく笑った。時間とともに選手が入れ替わっても、勝ち続ける。時に苦しく、時に歓喜の経験から積み上げてきたノウハウが、Jリーグでは唯一、アジアを複数回制した根底にある。【岡崎悠利】